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今年の個人的感想ー時間について

今年ももう、終わってしまう。早いのなんのって。でもこの感じは私の周りの方は皆さんおっしゃっているので、私だけの感覚でもないようだ。何故、時間かかくも早く過ぎていくのか?一つには前倒しの環境があるだろう。今年は7月の末におせちの広告が入った!11月に入ったらクリスマス。「今」を味わう余裕が失われている。

でも、私がもの凄く気力が充実していて、ストレスもさ程感じず体が軽やかに動けば、時間に負けずに何でもぱっぱっとこなして、時間が早く過ぎると感じなかったかもしれない。一日の終わりにああ、これもあれもできなかった、と思うことが増えてきた。このブログを書くことも、夜は疲れてなかなかできなかった。結局年のせいか?とは思いたくないけど、と考えたら、すごく時間が長いと感じた体験を思いだした。

30代の時、卵巣膿腫の手術をして、その後傷口がとても痛かった。二日くらい我慢すれば痛くなくなると言われたけれど、その二日の長かったこと。何度も時計を見て時間が進まないことにがっかりした。その時の経験が今の気功に結びついているので、必要な経験だったかもしれないけれど。

今日の新聞に「がん患者の4割が、亡くなる前の1ヶ月間、身体の苦痛がある状態で過ごしていた」という記事を見た。終末期の方をお願いされて一応診断だけはして、ヒーリングはお断りしたけれど「お陰様でとても安らかに旅立ちました。」という言葉を頂いた。考えてみれば私の両親も、苦痛は父の腰痛以外訴えなかった。それも体位を変えたら治まる程度だった。

両親の一周忌を覚えていて下さる方がいて感謝です。

話が横道にそれたが、時間を長く感じるのが死を目前にした苦痛ある状態というのは避けたい。来年は一日一日を今日が最後と思い過ごし、寝る時には「我ながら精一杯やった」と思えるようにしよう。しかし一つ問題が。昼間突然眠くなる時があり、その誘惑に負けて一眠りする時とても幸せを感じる。60過ぎたらこういう時間が多くなると思って楽しみにしていたのに、「死ぬまで働け。年金もできたら70から。」という時代になり、トホホの今だ。

とにかく来年は、濃い時間を沢山作り、今年は長かったと思えるようにしよう、とこれがNew Year’s Revolution 。

 

 

もったいない階段

忙しい毎日を過ごしているので、まとまった運動はなかなかできない。なので心がけていることがある。なるべくエスカレーターやエレベーターは使わず、階段を使うこと。これは運動、と足に言い聞かせ(?)片足ずつしっかり体重をかけて上がったり降りたりしている。降りる方が得意。

今は富士山も落ち着いているようです。

今は富士山も落ち着いているようです。

先日、私は神戸にいた。靴を三宮で買い、新神戸から新幹線に乗る予定だった。新幹線は11時46分発。外反母趾で合う靴を捜してもなかなかみつからないが、さすが神戸、全く痛くない靴がすぐみつかった。嬉しくなって途中でお昼のパンを買ったのがよくなかった。三宮で地下鉄のホームの時計を見ると11時31分。30分に出たばかりで次は38分。どう考えても地下鉄の神戸駅から新幹線のホームまで5分で行かなければ指定席はぱーになる。覚悟を決めて神戸の駅に着いた途端、新幹線のホームに向かって猛ダッシュした。エスカレーターは混んでいたが階段はすいていて、必然的に階段を駆け上がるはめに。ホームに着いた途端、新幹線も到着し、無事乗れることができた。動悸がしばらく収まらず、「心臓さん、ごめんなさい。」という感じだったが、日ごろの訓練の賜物と自己満足した。

ところが、次の日、体が疲れて思うように動けない。「年寄りの冷や水」という言葉が浮かんだ。そしてやっと、今までは切羽詰ってから動き、何とかなってきたのはいいけれど、これからは余裕を持って動くことを肝に銘じなければいけない、とまともな反省をしたのだった。

名古屋での勉強

夜の街

夜の街

或る方の講義を聞きたくて名古屋に行ってきた。聞くたびに身につまされる思いがする。今回は「依存と怠惰」に関するお話が深く心に残った。何かあると自分を反省することなしに、すぐ人のせいにする。これも依存の一種。自分は努力しないで又義務を果たさないで、権利ばかり主張する。これは怠惰。そして依存の結果思うとおりにならないと「恨み」を持つようになり、怠惰の結果は「禍根」となってかえってくる。色々なことに当てはめてみても、成程その通りと思った。勿論私自身、注意しなければいけないこととして聞いた。

そこで「おみくじ」のようなものがあり、一緒に行った叔母がひいた。私は以前それで「可」が出て、友達も「可」だったので「可能の可ね。」と言って喜んでいたら、「それって、優、良、可、不可の可よ。」って指摘されてがっくりきたことがあったけれど、叔母はなんと「優」であった。始めて聞いた「優」だった。「優でも説明はそんなにいいことは書いてないのよ。」と言うので読んでもらったら明らかに勤勉を褒められていて、「もっと楽しく過ごす時間を持つように。」とさえ書かれていた。

70を超えたのに本当に病院や倒れたご主人(私の叔父)、孫のためによく働く叔母で、まさに「勤勉」という言葉がぴったり。娘達がいる東京にもせっせと日帰りで来る。さすが神様は良く見てらっしゃる。「依存」と「怠惰」の中に生きた、と思われないよう、今からでも気持ちを引き締めようと反省した名古屋行きだった。