昨日の続き

昨日、昭和記念公園でよく子供を遊ばせたことを書いた。当時、ぎりぎりの生活の中でいかに不自由な思いをさせないで楽しく過ごさせるか、ということに心を砕いていたように思う。だから公園は貴重だった。転勤族で公園が少ない所に行ってしまった時は途方にくれた程だ。

冬の木陰(?)

冬の木陰(?)

楽しく公園で大遊びして帰る時、いつも思った。子供は近くの公園で遊んでもハワイに行って遊んでも楽しければ同じね、と。決して僻んだり妬んでそう思ったわけではない。身の丈に合った楽しみ方があり、でもどこでもenjoyできるし幸せはどこにでも転がっている、といつも帰り道に実感していた。また子供は楽しんでいる時が一番集中するので、結果集中力を公園で養ったのだな、と後から思った。

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