親の有難さ

前回と同じ木。Yの形が面白い。

両親が亡くなってから、不動産の処理に追い掛け回されている。父は余裕があったのか、全ての不動産を放っておいて、そのうちの一つを二人に貸していたので、その賃料で固定資産税や修理費をはらっていた。

突然投げられた私は訳がわからず、ただどんなにぼんやりしていても、放っておいたら固定資産税で家が潰れてしまうということはわかるので、周りの方の意見を聞きながら右往左往している。三人の子供たちの変な争いを招かないようすっきりしておくことと、もし余裕があったら虐待防止の何等かの活動をしたい、とこの年で夢をみている。

日本では不動産を扱う女性はまだ少ないようで、女だからナメヤガッタナ、という思いもしてきた。その度に親、特に父を恨んだ。始めは暇だと私が気がぬけるから、こんなに忙しくしてくれて、と思っていたけれど古家4軒の処理は、とてつもなく大変で、資金も綱渡りしているよう。

ところがある日、早く両親を亡くしたスピリチュアリストのE氏の若い頃のヴィデオを見て、ああ、親というのは社会に対して大きな後ろ盾になっていたんだと気がついた。考えてみれば家の管理の煩わしさも、親が生きている時は全く関係なかった。何も知らされなかったから今の苦労があるが、長い間「知らない幸せ」というのは確かに存在した。

私が嫌でも何でも処理にあたっているのは、こんな思いは子供たちにさせたくない、という気持ちがある。そして、ご先祖や親の応援も時々感じる。私が丁度この「家」の節目の時に生まれてきたと思って頑張るしかない。因果は巡るし。

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