鍋理論

どう考えても、日本人の不安は大きくなっている。自然、年金、食に職。生活に直接関係するところが危うくなっているような気がする。特に食に関しては「飽食」の時代はとっくに終わり、まともに食事ができない人がいるし、子供でも一日一食の子どももいるようで本当に心が痛む。

では、どうすればいいのか?「鍋理論」と私が名付けたのであるが、これからの世の中はこの「鍋理論」でいくしかないと思う。前にも書いたのだが、皆で材料を一つずつ持ち寄る。少し余裕のある人はお肉とかお魚とかを買ってもっていく。自分のうちで作った野菜でもいい。重ならないように持ち寄り、それを鍋の材料にして、皆で食すことにより栄養的にも偏らない美味しい食事が楽しくできるわけだ。

「世の中に才能が無い人はいない」そうなので、それを自覚して一人一人が皆のために提供していく。大学時代、何浪もして入ってきた人でお勉強は不得意だったかもしれないが、学祭で「物を売る」ことがすごく上手な人がいた。何故かその人が声をかけると吸い付けられて、にこにこしながら商品を買っていく。卒業後、不動産会社に就職したらしいのおうが、さぞ優秀な営業マンになったに違いない。

自然の造形美は素晴らしい!

今、AIが台頭してきたこともあって、人の能力や技術がいらなくなってきているように思われるけれど、AIに感、気転、思いやり、機微はない。人は人によってしか本当のところは癒されないし、成長できないと思う。

金銭的にはかる能力ではなくて、それぞれが自分の中の得意な面を発揮してお互いに助け合うという意識を持てば、つまりそれが「鍋理論」なのだけれど、この生きにくい世も生き抜けるだろう。

私も平均余命まで、後20年ほどなので気功や音楽の技術に磨きをかけ、と鍋に放り込む良い材料としたい。

 

 

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