アメリカで感じたこと

アメリカでは油断なく歩いていたので、写真はなし。仙台駅で。

アメリカにはただ一人の姉妹である姉が、グリーンカードを取って、つまりアメリカ人として、もう日本にいる時より長く住んでいるため何度かいく機会があった。

一番始めはもう30年ほど前だが、まだ人種差別が強く、トイレもカラードとホワイトと分けられて、バスも別々、レストラン、カジノも担当は日本人には黒人がついた。うわーっ、まだこんな世界なんだ、と思った。

次に行った時は、アメリカ人が人に肌がふれあうことに、日本人より神経質だということがわかった。少し触れ合っただけでも、びっくりしたように「Excuse me!」と言う。触りそうになっただけでも、大げさに避ける。思うに広い国だから、個人個人のmy space が広いのだろう。狭い日本、そんな感覚はない。でなければラッシュ・アワーの電車にはのれない。日本に遊びに来た甥のwifeであるアメリカ人が、満員電車で笑い転げている訳がわかった。

さて、今回、今までは気がつかなかったが、レストランで待ち時間がとても長い、ということ。普通のレストランだったが、注文してからなかなか料理が出てこない。30分以上、何回も待たされた。息子が「日本とは違うよ、待つよ。」と言ったけれど本当に長く待った。勿論一流と言われているレストランは違うのだろうけれど、今回は、というか今回も行かなかったし。うっかり追加注文しようものなら、またそこから待つ。「お客様は神様、ではアメリカではないから。」と息子も言っていた。

でもそこで、気がついた。アメリカ人のお客さんは、グループで来ている人が多く、とにかく良くしゃべる。食事にはあまり関心がないのかなと思うくらい、食事そっちのけで沢山しゃべり、よく笑う。日本のようにカップルや家族で来ても、スマホに夫々夢中、なんて人はみかけなかった。思うにもうスマホは生活に溶け込んで、夢中になる対象ではないのかもしれない。

二分でお米が炊けるジャー、とか所謂日本でいう柔軟剤はもうアメリカでは薄いシートになっていて、洗濯機から乾燥機に洗濯物を移す時に一枚入れれば事足りたりする。ある時から何故、アメリカから来た柔軟剤が急に増えたのか、と不思議に思っていたのだが、このせいではないだろうか?

でも、もしアメリカの後を日本が追いかけているとすれば、スマホもすっかり生活に溶け込み、スマホに振り回されることなくスマホを使いこなす、という日が来るかもしれない。今回はそういうところで、光を見た気がした。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください