サーフィン処世術

最近、気持ちの持ち方で、これはいいな、と思うことを考えた。名づけて「サーフィン処世術」。どういうものかというと、海で常に来る大きな波や小さな波を人生を歩んでいく上での試練、困難、または人からの働きかけ、と考える。

ここが大事なポイントなのだけれど、自分の軸をきちんと持つ。今までの人生経験からきたものが土台となるが、頑固であってはいけないし、常に修正していく必要はあるけれどこれが、自分の軸という意識できるものを持っておく。

そうすると、大小の波を転覆することなく、ダメージを受けることなく乗り越えられる。例えば、人から理不尽な扱いを受けたり、不幸と思えることがあったとする。ともすると恨みつらみ、憎しみになり、ひどいと自分の運命さえ呪うことになる。

でもこれは、大きな波だ、乗り越えてしまおう、と思えれば、自分をゆがめることなく進んでいける。その人になおかつ、慈愛の眼差しを向けたり、禍を転じて福となすことだって可能になる。自分の軸は変わらないのだから。

今日の内容は硬いので、少し夏らしい画像を。気にいってるお皿です。

とは言うものの、これはほとんどイエスの境地で、私達凡人にはとても難しいかもしれない。でも、このサーフィンをイメージしただけで、何か余分に悩むことがずっと少なくなった。私はずっとスピリチュアリズムの勉強をしているが、乗っているボードはこのスピリチュアリズムだと思っている。その上に自分の軸をどう作っていくか、これからの人生の課題であり、楽しみでもある。

 

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