広がる網目 byほとんど犬の遠吠えsan

今こそ、文明や科学が発達したところで、人の幸せにはあまり関係ない、ということが証明された時代はないのではないか?

神は人間に十分幸せに暮らしていけるものを、海に山に大地に大気に与えてくださった。それを「地球は虐待されている。」という人がいる程、取りたい放題で、取るばかりでなく汚し放題、遂には自分達の首も絞めようとしている。

人は自分達のためにセーフティー・ネットを作ったはずだ。けれど日本の現状を見ると、その網目がどんどん広がっているようにみえる。そうすると、こぼれ落ちる人が増えるわけで、そういう日本に悲観したのか、若者の自殺が特に増えているそうだ。中高年のひきこもりも同じ。

人の価値基準がもはや「人間性」や、他者に対する「やさしさ」にはなく、お金をどれだけ所有しているか、どれだけ稼げる人かで見るようになってしまった。「安楽死」は自殺であり、殺人者を作ってしまっているにもかかわらず、そのうち「潔く生を諦めた」人として賞賛されるかもしれない。とんでもないことである。

どんな状況でも、たとえこの世が地獄に思えても、(あの世からみたら、この世は地獄のようだが)劣悪な環境の難民や、トップが独裁者でも胸をはって生きている勇敢な人達の爪の垢を煎じてでも、「生き抜く」のが大事だ。

とこれは、最近、自分ではどうしようもないことが起きつづけている、自分に向かって言っている言葉でもある。なぜなら、地球民である限り、または日本人である限り、全ての責任の一端は私にもあるのだから。

たくましく生きることを草木に学ぶ。

7月上旬から中旬は、アメリカに会社から留学している(カーネギー・メロンとやらに。オレンジではない。)次男のところに飯炊きにいきます。ただ一つの心配はピアノがあるのか、ということ。どこか弾かせてくれるところを捜しておいて、と頼んだけれど心もとない。大体、「来て、来て。」いっていた割には、いざ行く、となったら、「長いね。」と迷惑そうなのはどういう訳だ。大いびきかいて、睡眠妨害してやろうか、と私もまだまだ煩悩の人です。

 

 

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