悔しい話

今日は、どうでもいい話です。どうでもいい話を読みたくない方にはお勧めしません。あしからず。

この前、時間がたつのが早いと書いたけれど、60になった時はえっ、嘘~、もう60!、と自分でも驚いていた。その頃、舞台を見た後や講演会のアンケートで、たいてい年を書く場所があって、年を60と書くのがとても抵抗があり、年齢(  )歳と書いてあれば(午)歳、年齢(  )と書いてあれば(55以上)とかふざけた様なことを書いていた。

ところが慣れとは恐ろしいもので、それから2年たち、3年たつうち年のことは段々どうでもよくなった。最近「人生100年」とか言われたり、テレビで見るお年寄りの方がすごく元気そうでも80台後半だったり、90過ぎていたりするのも影響しているかもしれない。

で、今日パソコンのネットでライブがあり、そこで書いて送るのに年を書くところがあり、何も考えないで、書いて送った。

昨日の写真の加工。明日、新たな写真とります。

そしてその後、母がお世話になっていた施設のホームに、転勤するホーム長へのご挨拶にいった時、突然気がついた。(さっき私65って書いたよね。でも私まだ64じゃん。)と。

最近、冗談交じりに「私、もうすぐ四捨五入したら70になっちゃうんだよね。」と言っていたのがいけなかったのかもしれない。自然に一つ多い年が自分にinputされてしまった。

自分でも意外だったのは、達観した、と思っていた年について、間違ったと気がついた時はとても悔しかったこと。後何ヶ月のことなのに、なんでここまで悔しいかな~と我ながら不思議だ。

してしまったことは仕方ない。後何ヶ月の64を何がなんでも実りあるものにしよう、と変なことから決意した今日であった。

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