どうしても、わからないこと

今日は三月11日、八年前のこの日、今でいう東日本大震災が起きた。心から被害に遭われた方のご冥福をお祈りいたします。菊田心さんの詩『ありがとう』を読んで、惨事を糧に成長する人のたくましさ、やさしさを思った。

今、福島原発で施設に残った燃料デブリ(下段参照)がロボットでもなかなか取り出せず、このため廃炉作業がなかなか進まない。これは高い放射線量でとても危険なので、人は近づけない。何とこれが何百トンというから気が遠くなる。そして、原子炉を常に冷却していないといけないので、毎日膨大な汚染水が出て、その水を「海に流すこと」を検討していて、それを知った漁師さん達が大反対しているという。

東日本大震災で犠牲になられた方へ。

放射性物質は1500年は出続けるようで、これだけでも暗澹たる気持ちになるけれど、不思議なのは日本はどうして、他の原発の再稼動に舵をきったかということである。地震の可能性がどの地域でもこれだけ言われていて、外国は福島を見て「再生可能エネルギー」に重点をおきだした。日本は率先して原発を離れても、なんの不思議もないだろう。

それを何故か「原発」の電力を最優先し、「再生可能エネルギー」(下段参照)と止めたり、あろうことか「原発」の輸出に熱心である。原発が事故を起こすといかに恐いか、身をもって体験しているのに。

そして戻ってこようという人が非常に少ない土地に何十億もつぎこんで、何が生まれるのだろう。そのお金をいまだ避難している5万人以上の人の生活再建にあててほしい。

「原発」に頼らないと、日本の経済はもう支えられないのか、それとも有効性のない「復興工事」や「原発再稼動」させることで、大きな利益を得るところがあるのか。有利、不利、や損得を超えて日本人が未来に安全に住めるかどうかという究極のところまで来ているのに、どうも感覚的にわからないことが多すぎて、少しでも真実を知らなければと思う日々である。

「燃料デブリ」  原発事故で溶けてしまった核燃料が、原子炉のコンクリートの壁や他の金属と混ざって固まったもの。

「再生可能エネルギー」  石油や石炭、天然ガスといった有限な資源である化石エネルギーとは違い、太陽光や風力、地熱といった地球資源の自然界に常に存在するエネルギーのこと。その特徴は「枯渇しない」「どこにでも存在する」「二酸化炭素を排出しない」の三点である。

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