人の大きさとは

人が大きい、つまり器が大きいとはどういう人なのか、と時々考えていた。気前良く自分のものを何でも分ける人とか、自分の技術を惜しみなく公開して利用させる人、誰にでもやさしい人、でも人間だから表面的なものでは本当のところはわからない。政治家になりたい人の選挙活動中の愛想よさは、選挙後もずっと継続するものではない。人というのは「下心」というものがあるから。

とすると、器の大きさというのは他人からの評価で決まるものではなく、全てはその人の内にあり、大切なのは「動機」ということになる。実は何をするにも「動機」が大事ということは、今学んでいるスピリチュアリズムでも言われている。

さて、動機を決定するにはどうしても「視点」が必要になる。もし、自分のことしか考えなかったら、動機も自分さえよければ、になる。もう少し大きく「家」のことを大切にしようとすると(昔の日本のように)視点は上下に延びる。先祖を大切にして、未来のことも考えようとするが、横方向はどうでもいいので、「戦国時代」となる。水平方向の視点しか持たないと、「今」の世界は大切にするが、行き過ぎると「今」さえ良ければ後は、知らないよということになって、現代のように環境破壊が進んでしまう。

日本の建物の色もカラフルになったけれど、上品さがある。

結局、視点が上下にも水平方向にも向かうことが必要で、しかも先祖も子孫も周りの人も自分と同じように大事に思う気持ちがあれば、かなり器の大きい人になれるだろう。今は、人ばかりではなく、他の生物も自然にも敬愛する気がないと、もう地球は持たないような気さえする。

この立体的とも言える視点を是非持って頂きたいのは、政治家だけれど、「そして誰もいなくなった」政府のトップを始め、その大統領に何故か頭の上がらない〇〇の首相といい、視点がどこにあるのかわからない政治家が多すぎる。いや、自分の国さえ良ければいい、という視点がはっきりしているとしたら、自分だけが良ければいいという考えと、範囲は違うが視点は一緒だろう。

などということをこの年末に考える時間があったのは、母が一月に亡くなって喪中だから。正月飾りは必要ないけれど、大掃除はしなくてはいけないね。明日は大食いの三男が帰って来るし、結局主婦泣かせの忙しい年末年始が始まる。(友達も異口同音に、正月とお盆は忙しくて嫌、と言っております。)

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