AI(Artificial Intelligence=人工知能)!!!

もう何年か前に、アメリカに住む姉の家に行った時、二人で筒状の小さなコンピューターに話しかけて明日の天気を聞いていた。うわ~、ここまで来たか、と思った。どこまでがAIのなせる業か知らないけれど、「便利」を追求する一番の担い手であることには間違いない。便利=人の手間を省けること、と規定すると、これからの老齢化社会には必要なものもあるだろう。どうしても世の中は楽な方に流れるので、これからAIは幅をきかすことになるだろう。

ここでは、それをどこまでやっていいの?ということを考えたい。まず、AIの進出によってすぐに思いつくのは「人の労力」が要らなくなるということ。産業革命で機械化が進み労働者は仕事がなくなって怒ったが、今は人の頭脳に関係する分野でもそれが起こる。過去のデータの蓄積はお手のものだ。計算も速いし、統計的に推論もできる。ということは医療の分野でも十分機能する。もし、この病気にはこれ、といった療法がマニュアル化されているものがあれば、うちでコンピューターに自分の症状を打ち込めば、たちどころに直し方もわかるようになる。多分、セカンド・オピニオンを求めるまでもなく、あっという間に選択できる治療法が幾つか示され、それを自分で選択できるようになるだろう。

サプライズで、家族がAIと一緒になって帰ってきたお母さんに誕生祝を演出するコマーシャルをやっている。その時に思った。素晴らしい、誕生祝をされたお母さんもさぞハッピーだろう。でも、二度目はどうかな、と。多分もうサプライズではなくなる。マニュアル化されてしまったら予想できるから。手間がかからない分、容易になるけれど、人は実は自分のためにかけてくれた手間に、感謝とか喜びを感じるのではないだろうか?

アメリカの姉がよく、こちらではプレゼントは、手作りが何よりも喜ばれる、と言う。もてなしも手料理が最高だとか。プラグマティズムが主流のアメリカで面白いな、と感じたが、やはり心に関する分野はAIが人にはかなわない所だと思う。

医療でも、人によって体が皆違う、そこを昔のお医者さんは聴診器を使って、長年の経験と勘で診断を下した。経験を積んで、鋭い勘で治療できる人を名医と言った。また、本当の名医は、患者の心にも向き合った。医療が機械的になればなるほど、実はAIに近づくわけで英語でいうalternative(代替可能な)ものになっていってしまう。

せせらごぎとお花。いつ見てもほっとする。

人の心はマニュアル化できない。しかも始終変わる。そこに人間関係の面白さも難しさもある。そういう心にしなやかに寄り添っていくのは、やはり人の心しかないと思う。その分野にAIが入ってきて、人が使い方を謝ると、人の方が無機質化してAIに近づいていかないか、そして、奥ゆかしい日本文化にも多大な影響を与えることにならないか。これが杞憂であればいい、と切に願う。

(注)AIとは、人間の知的営みをコンピュータに行なわせるための技術のこと。またはそのプログラム。経験から学び、新たな入力に順応することで、人が行なうように柔軟にタスクを実行する。

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