介護の後で

父がが亡くなってから、七ヶ月が過ぎ、母が亡くなってからは、まだ半年過ぎたところだけれど、なんかもう、月日が随分流れたような気がしている。親戚の人が、がっくり来るよ、寝込むかもしれないね、と心配してくださったけれど、ミーディアムを通じて両親が出てきてくれたせいか、喪失感がほとんどない。ただ、最近、母が使っていた櫛に母の白髪が何本かついているのを見た時、なつかしさがこみ上げて来て、暫く撫でていた。

そんなことなら、母の髪を一房、切っておけばよかったのだけれど、何となく嫌がるかなと思い、また死者に対して冒涜のような気がしてしなかった。なかなか素直に二人に感謝できなかったけれど、今になっては、やはり世の中で一番私のことを思い、気にしてくれた人達だと感謝できる。

父の下の世話は随分したが、母は嫌だろうと思い全くしなかった。でも考えてみると、始めに入った施設で、オムツの取替えをする時は必ず「外に出ていてください。」と言われたので、そういうものかと思い最後までそのようになってしまった。特別そのことに関しては母は何も言ってなかったので、ほっとした。

土、日は必ず、一人ずつどちらかに行っていたので、(一日しか行けない時は一日に二人を見舞った)土、日にどこも行かなくていいということが、こんなに楽で、その分時間があるというのは、私にとってとても新鮮だ。毎日鏡の中で見る自分の顔も心なしか、最近疲れが取れてきた。今になって、やっぱり大変な六年間だったんだと思う。でも色々な方と知り合い、親身になって下さった方とも沢山出会えて、そういう意味では充実した日々だった。

 

美しい顔がぼけてしまって残念!滝を見て下さい。

両親に密に接することができて、アメリカの姉には悪いなと思ったことさえあった。相続に関する宿題が沢山あり、また当分それで駆け回らなくてはいけないが、両親や先祖の方々が向こうで、残した財産に誇りが持てるような受け継ぎ方をしていきたい。スピリチュアリズムを教えて頂いているE氏がよく「自分が汗水たらして得た財産でないものに、執着するのはおかしい。」と言っていたが、その通りだと思う。だから世の中になるべく還元できたら、と思っている。(とは書いたものの、相続の結果プラスになるかマイナスになるかは今のところ見通したたず)

もし余裕があったら、今、一番気になる、虐待防止に何か役にたてることができればいいなと考えている。

 

 

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