医療に対する関心(2)-虐待についてー

社会問題の中で、私が何に一番心を痛めているかと言うと、「虐待」です。日本が一番様変わりしたと思うのも、親の子供に対する無償の愛がどこかに行ってしまったことです。

みんなとは勿論言いませんが、子供を自分のできなかったことの投影物にしたり、子供にかけたお金を子供から回収できるように思い込んだり、果ては孫ができないと嘆いたり、自分の将来のヘルパーになることを期待したり。。。要するに全て自分可愛い視点で、子供を見る、そしてそれがもっと高じると、ストレス解消の対象、もしくは新しいダンナにいい顔したくて虐待に到る。子供は神から預かりものであり、子育てはボランティアとスピリチュアリズムで教わったけれど、そういうことを知らなくても、愛情一杯で日本の母は子育てをしていたはずです。

不苦労とお花。背景はもっとすっきりさせなければ。

5月26日の朝日新聞beで、紹介されている友田明美さんという小児神経科の先生の記事から、虐待に関する重要な記事をみつけました。抜粋します。「厳しい体罰を受けた人は学びや記憶に関わる『前頭前野』が萎縮し、感情や思考をコントロールし、行動抑制力にかかわる部分もちいさく」なり、「暴言を受けた人はコミュニケーションのカギを握る『聴覚野』が変形」する。「言葉の暴力は身体的な暴力より脳へのダメージがはるかに大きい」「家庭内暴力を目撃した人と性的虐待を受けた人もそれぞれ「視覚野」が縮小していました」「(人間の脳は)大切な時期に、強いストレスがかかると、苦しみを回避しようとするかのように脳が変形し」「その脳の傷によって後に暴力的になったり、感情を抑制できなかったり、人間関係がうまくとれなかったりする」「薬物依存症やうつなどにもなりやすくなります。」

虐待で目をひくのは死に到ってしまったケースですが、この記事を読むとそこまで行かなくても、子供に対する声かけがいかに大事かわかります。母の姉に対する悪意のない一言が、いかに姉のトラウマになってしまったか、これで良くわかりました。要するに、子供は親の持てる愛情全て、というくらい注ぎ込み、それを態度、言葉できちんと表現することが大切なのだと思います。態度、言葉は心が出てしまうので、底に本物の愛情があること、これが必要条件だと感じます。

怖いのは、虐待の連鎖です。愛情を受けて育たなかった子は、自分の子供の愛し方がわからないといいます。救いなのは、血がつながっていなくても、本物の愛情を注いでくれる人がいれば人はきちんと育つということです。良い養子縁組なら、その方が子供も明らかに幸せでしょう。側に子供を見守る祖父母、親戚、近所の方がいるだけでも子供にとったらセイフティー・ネットになります。また医学的には「(傷ついた脳も)安定した環境や愛情の再形成(で回復します。)」ということでした。

とはいう私も、子育てに関しては間違ったことをしたことが多々ありました。友田先生から見たら「それも虐待です。」と言われるような、言動もあったと思います。友田先生ご自身も「自分の子育ても失敗の連続だった」と話されるそうです。

気功の仕事がもう少し軌道に乗ってきたら、子供の虐待の問題にも、経験と反省を踏まえて具体的に力を入れていくつもりです。

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