ちょっと失礼な話

今日は「食」について、ちょっと失礼な話を書こうと思う。前にも書いたと思うけれど若い時、ツアーを利用して友達とイギリスに行った。その時は七カ国ヨーロッパを回ったのだけれど、一番初めに着いたのがヒースロー空港、つまりイギリスだった。始めての海外でもあった。その時食べたイギリスの食事はどれを食べてもまずくて、荒く刻んだキャベツには、まだ土が付いていたりした。レストランで周りを見回すと、イギリス人が家族でも友人でも、黙りこくって出されたものを食べていた。私達は、「イギリスの人って、食べることが楽しみじゃないんだね。まるで義務みたいに食べて。これだけおいしくなければ、しょうがないか。」などと勝手なことを言っていた。

最近になって、どうやら日本人の食に対する意欲、関心は尋常ではない、ということがわかってきた。ある外国の旅行客の言っていることを耳にした。「『ご当地自慢』と書いてあるので何かと思って行ってみたら、食べ物だった。日本はどこに行ってもそこの『自慢』の食べ物がある。」確かに、そう言われてみれば。。。iイギリスに行って以来、何となく、外国の方は食にあまり関心もなく、味覚もそれなりになっているのだろう、と思っていた。

もうアメリカの生活の方が日本より長くなった姉が、日本でうちに滞在した時、夕食の後、「いいわね。あなた達、毎日こんなおいしいもの食べているの。」と溜息交じりに言った。(私の手料理、少し自慢)確かにアメリカでは生活が忙しく、外で食べるお昼は必ず、マクドナルドの類で毎日続くと本当にあきる。姉は日本人だから、やはり日本食が好きなんだと思っていた。

しかし、最近テレビを見て気がついた。日本の食のおいしさに気がついた外国人が、「これを食べたい」と目指してまで、日本にくる。または海外でも「日本食」はおいしいと、インスタント・ラーメンが人気だったりする。ということは、人の味覚は食べ続けたものを美味しいと感じるだけでなく、誰が食べてもおいしいものはおいしい、という人類共通の味覚部分があるのではないのだろうか。これは私にとって大きな発見だった。そうだとすると、これからも日本食は世界を席巻するだろう。

季節はずれですが、お花はいつ見てもいいですね。

これで終わってしまったら、気功師のブログらしくないので、もう少し書いておこう。人の中には良心というものがある。多分これも、人類共通の味覚と同じく、人なら誰でも共通に、多少の差はあれ生まれた時から与えられているものなのだろう。良心はスピリチュアリズムで、人は心に神を持っているという根拠でもある。これがあるために、人は嘘をつくと心が痛む。残念ながら嘘は人にはつけても、自分にはつけない。そして良心はそれを本当は許さない。(人のためにつく嘘もあるが、これは良心が納得する)結局、嘘をつくことで痛めつけるのは自分の心、ということになる。今、これに気づいて欲しい方が何人もいる。

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