あるミィーディアムとの出会い(2)

少し時間が経ってしまったが、この前の続きは次の日の3月26日、月曜日のこと。主催したWさんのご好意で、個人的にゲイルさんとお会いして相談できることになった。(これをシッテイングと言う。イギリス、アーサー・フィンドレ・カレッジで覚えた言葉だが、ネットにも「霊視」とのっていた。)何を相談したかは、プライヴェイトのことなので、ここには書かないが、とても面白いことがあった。

Wさんのアドヴァイスで、両親の写真を持っていった。持っていった方が、通信しやすいのではないかということだった。前日に母の写真のことを言われたので、「遺影として選んだのはこの写真です。」とお見せしたいという気持ちもあった。

始めてすぐ、ゲイルさんが「お父様が来ています。」とおっしゃったきり、暫く目を丸くして黙ってしまわれた。私も黙っていると、少し困惑しながら「あの、すぐ、お母様もいらして二人でここで議論なさっています。」と言われたので、思わず大きな声で笑ってしまった。二人は、特に母が元気な時は価値観の違いから喧嘩が絶えず、それを新井薬師の御前様の前でも平気で二人で大声で言い合い、私は肩身が狭かった、という過去があった。どうも私が持ち込んだ相談で二人の意見が違うらしい。これが両親である証明でなくて、なんなんだという様子だった。

そのことについては、どうも父が折れて、というか納得して母がメッセージを伝えてくれた。それとは別に母は「お父様はこちらに来て短い間に随分変わった。あなたに見せてあげたい。」と言ってくれた。父は頭はすごくいいけれど、利己主義で頑固、ケチな面があり、母が倒れた後世話をするのに少し苦労した。昔しか知らない姉は「そんなとこだけではない。やさしい面もあった。」と言っていたが、父は、私を母の代わりとみなしたのか、かなり我がままを言った。するとゲイルさんが父が私にapologizeしている、(謝っている)と言ってくれて、その言葉を聞いた途端、ああ、美輪さんが「人の個性は死んでも変わらない。馬鹿は死んでも馬鹿のままよ。」という名言を吐かれたが、父は変わってくれたんだ、湯灌の時、「ご苦労様でした。しっかり休んで気がついたら、今までのこと、よく反省して、あの世でもご活躍ください。」という言葉が届いたのだろうと、全ての嫌な思い出は雲散霧消してしまった。そしてあの世に逝っても親というものはやはり、子供のことが気になるのだ、しっかり生きなくてはいけない、という思いを新たにした。

今年の桜は綺麗でした。お父様、お母様もみましたか?

次の日、早速アメリカの姉にこのことを報告した。すると「や~ね~、あちらの世界に逝っても二人でそんなことしてなきゃいけないんだ。」と笑っていた。そして、私が相談に入ったらすぐ、ドアが風もないのに二度すごい音が鳴り、終わる時も同じように音が二度して、それは「冨田さんの時が一番大きかったけれど、他の方も大体同じようで、ああ、今誰か入いった、とか出て行ったとか話していた。」と言われた話もして、「私の想像だけれど、二人は新入りなので、まだドアの通り抜け方に慣れてないんじゃないかしら。だから他の人より大きな音がしたのよ。」と姉に言ったら「それは絶対そうよ。」と言ってまた笑い転げていた。こんな会話ができるだけでも、姉がいてしみじみ良かったと思った。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください