母のこと -不思議な夢ー

母が倒れたのは2012年、3月31日。その直前の2012年二月のこと。両親をどこかに連れていこうかという話になり、ふと、母が「一度は海ホタルに行きたい。」と言っていたのを思い出した。丁度次男が就職して富津にいたこともあり、他の所を考えていたのだけれど「いつ、行けなくなるかもしれないから。」と言って海ほたるを通って次男の所に寄り、御宿に行くコースを選んだ。これが母を連れて行った最後の旅行になった。今考えると、海ほたるに連れていっておいて良かったと思う。

母が倒れてから暫くして、奇妙な夢を見た。子引き出しが三つついた高さ25cmくらいの小物入れがある。その一番上の引き出しが開いている。次の引き出しも開いている。ところが一番下の引き出しは閉まったまま、という夢である。夢の中で直感的にああ、母は二回程入院して、二回は良くなるけれど三回目に入院したら、それが最後になるな、と思った。

以前撮った不思議な写真。今見ると、右に卒塔婆が三本たっているように見える。もう一本あれば、心霊写真?

母は施設で結構おいしい食事と、やさしいスタッフに囲まれて、また頻繁に姿を現す娘(=私)にご機嫌に過ごしていたけれど、おととしに一度と去年の春に入院。この時は三週間ほどいて、8月の始めに退院して夏祭りにも参加できた。でもすぐ熱が出て入院になった。これが三度目。この頃、父がほとんど食事をとらなくなった。すると母も、病院で食事をほとんどとらず、寝てばかりいるようになった。父は食べたいのだけれど無理、という感じだったが、母は「食べない。」と決めたように、頑なに食事を手で拒否した。その感じから父が食べなくなったのを察知したのか、それともお気に入りの男性介護士にもう会えないとわかって、生きることをやめよう、と決意したのかと感じた。

夢のことがあったので、立川病院から桜町病院に移った時、早い段階で個室に入れてもらい、好きなクラシックを存分に聞いてもらった。私を認めると、うんうんと頷いて、わかってるよという合図を送ってくれた。今、母がいなくて寂しくない、というと嘘になるが、そのうち私もいくからと思うと、悲壮感はない。これから私は30年も生きれるかな。どちらにしても力一杯、思い残すことなく生きていこうと改めて覚悟している。

 

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