沢山の見送り

このブログを書き始めてから初めて、今年の一月は一回も書けなかった。何故か?母が1月6日に亡くなり、8日お通夜、9日お葬式を執り行い、少し無理かなと思いながら、14日から、大阪、豊橋へ行き、講座を受けたり、49日の法要の用意をしたり、市役所、弁護士の所に行き色々な書類をとり、不動産関係の用事をこなし、16日やっと帰ってきた。

疲れたな~、21日は気功クラスがあるから今週は少し休まなければと思いつつ、こちらでもすることが山ほどあり、市役所、年金事務所、郵便局に行き、書類の取り寄せ、提出を繰り返していた。と、20日に叔母から電話があった。なんと母の異母兄の奥様が亡くなったという知らせだった。最近はお会いしたことがなかったが、娘さんやお嫁さんが名古屋から母の告別式に駆けつけてくださっていた。なつかしさもあり行こうと決めた。名古屋にクラスが終わってから行き、7時からのお通夜に間に合い、次の日の告別式にも参列でき、22日、国立に帰ったら大雪が積もっていた。国立駅でタクシーを待つこと40分。名古屋から30分の所の会場を3時に出て、うちに着いたら9時半過ぎていた。途中、中央線が遅れたこともあり、長旅になった。

両親もよくいたリヴィング。

11月3日に父が亡くなり、12月28日は叔父が、1月6日に母が、1月20日に伯母が向こうの世界に逝ってしまった。何だか、この世界が面白くなくなって、皆で、「もう、行こ、行こ」と手に手を取り合って逝ってしまった様な感じを受ける。向こうの世界は賑やかで他のしそうだなと羨ましくもあるが、とりあえず私は正直疲れた。

気功師が疲れたと言ってはいけない、という意見もあるが、ちゃんと「医者の不養生」という言葉もある。親が亡くなった時くらい、大声で言いたい。「疲れた。」悲しさは?と言われそうだが、どちらの時も「もう、駄目だ。」と思った日に思い切り泣いた。後は何とか世間体を気にした二人のために、お葬式の体裁を整えるのに必死だった。介護に関わってから亡くなるまで、色々感じたこと、わかったこと少しずつ書いていきます。

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