なんともはや

今、世界情勢、特に政治の世界は現実のものとは思えない。何が本当のことか良くわからない。私の感性からすると、政治家は強がるのは職業上仕方のないことかもしれないが、少なくとも並以上の品性が欲しい。でも品性どころか相手を出し抜いて、たたきのめすのが正義だ、といわんばかりだ。お願いだから小国、日本を巻き添えにしないでよと言いたい。自分から巻き添えになろうとしていると思えなくはないが。。。

山への憧れ、いつもあります。余裕ができたらまた登りたい。

クラスでも、時々世界情勢の話が出る。「ボタン一つで決着のつく時代。気がついたら、みんなであの世に移っていたというのなら、それはそれで楽かもしれない。一人だけとか生き残ると大変ね。」と言っている。可能性はあるかもしれないが、常にそれに怯えるのは時間=人生がもったいないと思う。それにしても随分短期間で世界は変わった。つい20年位前までは、今から考えると本当に大らかな時代だった。そして日本はなんて幸せな国だったのだろう、と今更にして思う。いや、紛争やテロが日常的になってしまった所から比べると、日本が今も幸せなことに変わりはない。しかし、どんどん幸せな基盤がもろくなっている様な気がする。

87歳の母まで終末を宣言され、立川と武蔵小金井の病院をほとんど毎日、振り子のようにいったり来たりしているので、この夏はあまり他のことを考える余裕がなく過ぎてしまったが、ニュースは災害と政争、虐待の話ばかりで、繊細な方は情報のない世界に行ってしまいたい、と思われたことだろう。国立の我が家にいると、虫がうるさい程鳴き、木の実はたわわになり、昔と何ら変わりがなく、自然の声をず~っと享受していたい誘惑にかられる。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのようにつぶやいてみる。「明日、考えよう」と。

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