どんな時でも元気になる

「どんな時でも元気になる」という題にしたのは、近年になく五月は相当私にとって厳しかったからだ。親しかった方お二人があっという間に亡くなられた。一人は親戚同然のお付き合いをしていた、仙川にある病院の院長までなさった女医さん。もう一人の方はクラスにも顔を出してくれていた方。家族の方とも顔見知りだった。お二人とも癌の再発が原因だった。他にも叔父危篤の知らせが入り豊橋に走ったり、父が「母の日」の朝、施設から救急車で病院に運ばれて、まだ退院できない長い入院生活が始まった。他にも湿疹がなかなか治らなくて困っている方、介護で疲労困憊になりダウンした方、それから熱中症で意識不明までいった家族とか、なんだか病気のオンパレードだった。お葬式に行ったり弔問したり、遠隔診断したりヒーリングをうちでしている間に五月が終わってしまった。

こう書くと何だか不幸ばかり起こっているようだけれど、一つ一つを気持ちをこめて接したのでかえって疲労は残らなかった。あの世に送った方にも女医さんには「向こうでも是非スピリチュアル・ドクターとして活躍して下さい。」と話しかけ、もう一人のSさんにも「お仕事も子育ても最後まで良く頑張られましたね。ゆっくり休んでまたご家族見守ってね。」と話しかけた。魂は永遠と信じてなければ、かなり落ち込んだと思う。本当は最後まで気功師として関わりたかったけれど、女医さんは去年の法事にお会いして今年になってもお仕事なさっていたし、Sさんは最後はご家族と過ごされていたので邪魔してはいけないと思って連絡も遠慮した。

一緒に見た桜、すごく綺麗だったね。あなたのこと、忘れないよ。

一緒に見た桜、すごく綺麗だったね。あなたのこと、忘れないよ。

でも不思議なことに、Sさんが入院した同じ病院の外科の同じ階に父が一度目の入院をし、もう退院したあとだったけれど、行く度に家で療養なさっているSさんを思った。驚いたのは父が二度目の入院を泌尿器科でしたのに、又外科の同じ階に入院し、一週間そこにいた。そして他の階に20日に移ったのだが、彼女は19日に亡くなられたと連絡を頂いた。私は彼女が入院している時は度々お見舞いしたので、余計行く度にああ、父がいたこの部屋に彼女がいたな、とかあの頃は本当に桜が綺麗だったなと思いをはせていた。

一緒に弔問に行った方は、なんと19日にSさんを友達と見かけたと言った。ああ、あんなにお元気になられたんだと一瞬思ったという。

お仕事が生きがいで80歳すぎても現役でいらした、どちらかと言うと男性っぽくて、謙虚で可愛いらしいところもあったA先生、強い心を持ちながら、優しさとユーモアが魅力だったSさん、50代半ばでまだ中学生のお子さんのことも心残りでしょうけれど、この世の苦労は忘れて、(誰でも反省の日々を過ごすと聞いてますが)あちらの世界でも輝いてご活躍ください。いずれ私も行きます。精一杯のことをして、お二人に拍手で迎えられるように頑張って生き抜きます。                                                                            合掌

 

 

 

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