ある天啓

7月25日に中野区新井薬師の御前様のお葬儀が行われた。亡くなった頃から(6月23日)生前のご苦労のお話がたくさん聞こえてきた。私はただ「ああ、御前様でもさばききれないことが、おありだったんだ。」としか思っていなかった。

御前様、夕方の富士山です。綺麗でした。

御前様、夕方の富士山です。綺麗でした。

お葬儀の日、中野ブロードウェイを歩いていて天啓のようにあることがひらめいた。御前様は常に人からの相談ばかり受けていて、ご自分の問題など話されたことはなかった。でも御前様も人の子なので、誰かに相談したい事もそういう時もあったに違いない。私も含めて御前様を「頼る人、相談する人」に決めてしまっていた。

中学2年の時から40年以上親しくさせて頂いた。若い時や子育てで忙しい時はともかく、少し落ち着いてから今度は私が何らかの力になることはできなかったのか。お藥師堂に着く間、後悔とも悲しみともつかない感情に襲われた。

藥師堂に着いてから、ああ、御前様はこのことを理解して欲しいと思われていたのではないか、と気がついた。御葬儀に間に合った。お焼香の時に思いを込めて、今までの御前様の無私の奉仕に感謝し、自分が頼り切ったことに御礼を述べ何もできなかったことに謝罪もした。いいお別れをさせて頂いた。        合掌

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