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オペラ「夕鶴」

いやに、時間が早く過ぎて行く。私ばかりでなく周囲の人も早い、早いと言っている。早いだけでなく、あっという間に世界が変わってしまった。とにかく独裁者が多くなった。それにしても、女性に対して暴言を吐いてトランプ大統領の真似をしているブラジル大統領の、熱狂的な女性の支持者の気持ちがわからない。女性の尊厳なんかどうでもいいのかしら。そんなことどうでもよくて、ブラジルfirst、強いブラジルが大事なのか、でもその先には何があるのだろう。

江原さんプロデュースのオペラ「夕鶴」を従姉妹と見た。話は「鶴の恩返し」と知っていたので何となく気軽に見に行った。まだこれから見られる方がいるかもしれないので詳しいことは書かないが、予想以上に良くできたオペラで、「人間の性」について深く考えさせられた。まさに現代のこと、そのまま当てはまり、それぞれの、特につうの鈴木さんと佐藤さんの歌唱力はすごく、それを支えるオーケストラ、他のメンバー、一場面だけれど美しい美術、従姉妹も「日本のオペラ、すごいね。」としきりに感心していた。

しかしオペラの余韻も覚めやらない帰宅後、テレビをつけたら、核保有国の核拡散合戦を報じていた。

立川風景。好きな写真なのでもう一度up。

つうは自分のことより、とにかく夫を愛し尽くそうとした。今世界は、難民より自分の国を守ることに一生懸命で、他の国より自分の国が強く栄えればそれでよい、としているように思う。ではその次は、と考えると、自分の所属している集団、地域さえよければ、になって、家族さえよければ、そして行き着く先は自分さえよければ、ではないだろうか。気になるのは行動していく課程で、話し合い、譲り合いがなく強く主張し権力を乱用してやったもの勝、という風潮があることだ。同じ意見のものには力強い見方だろう。だがひとたび、より強い違う考えのものが出ると、全ては簡単にひっくり返されることになるだろう。

相手をとことん思いやるつう、自分のためなら手段を選ばない独裁者達。スピリチュアリズムでは全ての人は類魂であり、どちらの心もみんな自分の中に持っていて、ただその割合が違うということらしい。せっかく修行のために生まれてきたこの現世、純粋なつうに近づく努力を最後までして、人生を全うしたいと思う。

お片づけ(2)

両親が亡くなってから何度か実家に行ったけれど、どこから手をつけていいかわからず、しばし呆然としていた。暫く考えて二つのことを心がけた。一つは、「目標」をたてること。もう一つは第三者に入ってもらうこと。

練馬区は30cm以上のものは全て粗大ゴミになるので、今回は布団、マットレスなどを全て粗大ゴミで出そう、とか今回は台所のものをとか、次は机、椅子類とかそのように分類することで「目標」をたてた。後は色々な人にアルバイトで、お手伝いに入って頂いた。お願いするには、「今日は二階のタンスや棚、押入れに入って入る物を全て出してください。私がゴミとしたものは45Lの袋に入れて下に落としてください。」という風に自分で計画しなくてはいけない。強制的に自分のヤル気を引き出した感じだ。アルバムや数限りない写真の整理には従姉妹に来てもらい、私ではなかなか切れない結婚式の写真などをバッサリ切ってもらった。

使える寝具、どうしようかと思っていたら、毛布、シーツ、カバー類なら洗ってあればOKという所を生活クラブ関連でみつけ、団子状にして三袋送った。また珍しいことに食器もヒビが入ってなかったら、使っていても大丈夫という所をみつけ、ダンボールに緩衝材を詰め込み、その間に食器をどんどん入れて一箱送った。これはなかなか気持ちのいい作業だった。

去年の同じくらいの時期の写真。こういう木の雰囲気が好きだ。

後は分別しなくてもそのまま持って行ってくれる業者に、トラック一杯持って行ってもらった。古い服がぎっしりはいっているこおり、庭にあった錆びた道具が満載のブリキの箱、訳のわからない台所にあった大きな箱(何故かふたのようなものもなかった)座布団等。清掃局にも臨時ゴミとしてまとめて持って行ってもらったが、分別と45Lの袋にまとめる必要があったので、ごちゃごちゃとはいっている箱などには、とても重宝した。「ちゃんと分別してくれますか?」と聞いたら「勿論です。」という返事だった。

いったん出ているものを片づけて、次押入れにかかったら、また出てくるわ出てくるわ、で参ったけれど、来た方にも気に入ったものは持って行ってもらったり、絵画や食器、帯や布は欲しい親戚に送ることができて、何だか「物」に対する義理は果たしたような気になった。

私はと言えば、数枚のご先祖の珍しい写真と、小さい時気にいっていた本が出てきてそれで大満足だった。押入れの中に詰め込むとそのままになり死蔵品になる、ということと自分が死んだ後の後片付けをするつもりで、今住んでいる所を見直さなければならない、というのが、実家の「お片づけ」の最大の教訓になった。

 

 

お片づけ(1)

皆さんも経験ある方もいるかと思いますが、今両親のなくなった家の片付けをしている。人ってこんなに物がいるのかと思うほど、捨てても捨ててもなんやかやある。大枚はたいて一挙に持っていってもらう方法もあるけれど、両親が大事にしていた物や私自身の学生時代のものもあり、こつこつ片づける方法を選んだ。

家はかなりガタがきていることもあり、リフォームの必要があるので、ほとんどの物をなくさなければならない。外壁がはがれている所があり、「そこは直しておいた方がいい。」と言うので、直してもらうついでに二階の大きな家具、ベッド、和ダンス、洋ダンス、食器棚を転用した二段の本棚を大工さんにお願いして、外壁の修理の後、始末してもらうことにした。全て大変古いこともあり、粗大ゴミにすると言ったら、「こんなにあるとは聞いていない。」と言われた。確かにこれらの物を狭い階段から下ろすのはかなり大変だと思い、一計を案じた。

まず、ベランダからベッドの厚いマットを落とし、そこに物を落としていったらどうかと提案したら、「それでいこう。」ということになった。「でも、ガラスが飛び散ると大変なので、ガラスが入っている所ははずして手で持っていってください。」とお願いして、夏の異常に暑い中、作業をしてもらった。力強い大工さんが三人で次々と落としてくれてあっという間に片付いたが、落とした時の音がドーン、ドーンとして決して気持ちのいいいものではなく、思わず、「ごめんね。今まで有難う。」と心の中で言い続けた。

本当はそのままどこかに引き取って欲しかったのだけれど、二階からそのままとなると、かなりのお金がかかる。桐の和ダンスもあまり古いと、まず削らなければならず、もう60年以上たったタンスなので、涙をのんでお別れした。中の物は、クラスの方やお店の若い方に来て頂いて全て空にしておいた。

後は、下に散らばった部品を(落としたので、ばらばらになった)家具ごとまとめ、粗大ゴミとして区に持って行ってもらった。粗大ゴミは65才以上だと、家の中まで来て持って行ってくれるそうで、私も来年夏まで待てばめでたく(?)65才以上になりこんなことしなくてよかったのだが、「後始末」にいつまでも関わっているのが嫌でこういうことになった。「短気は損気」と昔から言うけれど、本当、申し訳ないことをしたかも、とトラックに乗せられて去っていく家具にもう一度謝り、感謝して見送った。

長い間一緒にいてくれた家具たちに、有難う、の花束を。