月別アーカイブ: 2018年7月

ある女の子の死

残念なことに、子供の虐待死が後を絶たない。不思議なことに、写真で見るその子達は、とても愛くるしく天使のように見える。顔で判断はいけないが、あまりの可愛さに両親が嫉妬し、母親ももはや母ではなく、一人の女として対峙してしまったのか、と思うほどだ。

文書を残して最近亡くなった女の子は、文章を読むと気高くさえあった。人格の高さに、人の気持ちを失った両親はかえって追い詰められたのだろうか?女の子の内なる光がまぶしくて、殺してしまった、となると昔々、そうこの世界が始まった頃を思い出す。

白いお花はどんな花も浄化のイメージがある。

イエス・キリストの処刑。スピリチュアリズムを勉強し始めて、イエスの処刑の意味をずっと考えてきた。「自分達の罪を背負ってくれたから、自分達は無罪放免になった。信ずる者は救われる。」という見方がよくあるが、私にはあまりにも都合のいい見方だと思う。「イエス自身のカルマの解消」、これもイエスを余りにも矮小化している。イエスは生前、天の人達と交信できる程の霊格の持ち主だった。

私が考えたのは、(というかこれまでの学習の集大成として)イエスは人間のカルマを自分の身を犠牲にして表したのではないか、ということ。つまり、他の人にあれだけ尽くして、最後に酷い仕打ちを受ける、人とはこういうことができる生き物ですよ、ということを体現して示してくれたのではないか、ということだった。

女の子のつぶらな瞳と、一生懸命書いた文書を目にすると、この子も一人のイエスだな、と思ってしまう。

集中豪雨と猛暑

西日本豪雨の被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

遠くから、早い復旧と猛暑で倒れることのないように、お祈りするばかりです。人手が要るということで、体力が許せば駆けつけたいのですが、こちらも連日連夜の猛暑で、自分の身を保つのが精一杯です。

自然と仲良く生きるのは難しい時代になってしまったのか?

岡山県で生まれ、倉敷市にも親しんでまいりました。募金受付する所がはっきりせず、やっと市役所と郵便局から気持ちだけ募金しました。

もう日本中、どこで何があってもおかしくない時代になりました。全てを我が事と捉えて考えるしかないと思っています。

どうぞ、心折れることなく、一日、一日を生き抜いてください。

これからもしっかり胸に刻んで、いつも被害者の方に思いを馳せるようにします。

 

KIRAKU   冨田 貴子

 

時間の不思議

このところ、皆さんと意見が一致しているのは、「時間の早さ」だ。毎日一生懸命生活しているのに、過ぎ去った時間はとても早い。もう今年は半分終わってしまった。ひょっとして、中身が薄いのかしら?特に予定を入れると、もうそこまで終わった気になるのは不思議だ。

六月のうちに、忘年会の予定を考えた。日曜日は第三なので16日、金曜日も初めの方に設定するつもりだ。そして、1月6日も母の一周忌と決めた途端、完全に今年は終わった気になった。鬼が笑っても笑わなくてもそのような気になって、何だか呆然とした。こんな風に人生って、あっという間に過ぎていくんだろうな。

暑い日に水は救世主

立派なお城を見るたびに、昔の技術の凄さと、それにかけた情熱を思う。しかし、「生々流転」や、鴨長明の『方丈記』の「ゆく「川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」という様な言葉を思い浮かべる。いや、もっとふさわしいのは芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」だろうか?戦国時代に生きた人は、堅固なお城を作るのが至上命令で必要なことだった。日本の狭い土地を命をかけて取り合った。それがその時代の「正義」だった。今はお城は観光価値として大事にされている。元の水ではないのだ。

これから不動産に関する両親の「宿題」に取り組まなければいけないが、少なくとも〇〇家をかけての争いという馬鹿げたことにならないように、お城を時々見て方針を誤らないようにしようと思う。それが、お城が時間をかけて教えてくれた大切なことの一つだろうから。