月別アーカイブ: 2018年6月

「暇」について

「暇」の定義を自分が何かやりたい情熱が失せて、かつ、人から何も求められていない状態、と定義しよう。不思議なもので、忙しい時より何かしら将来や色々なことが不安になる。筒井氏も本に「人は活動的でなくなると日常の瑣末な出来事が気になる。」と書いているので、どうも「暇」は良くない。これが「余暇」というと、ぐっとプラスの響きになるのも面白い。

時々書くけれど、アメリカで非の一点打ち所がない男性が、つまり社会的にも家庭的にもお金、権力全て恵まれていたのにもかかわらず、自殺してしまった方がいた。誰も思いあたる節がなかったようだ。

私はひそかに(彼は暇だったのではないか)と思っている。何も案じることがない状態で却って、生きることの意味を見失ったのではないか、と。

白い百合は父方の祖父が好きでした。

ところで、難民の方の集団自殺とか聞いたことがない。宗教団体の集団自殺は聞いたことがある。戦争状態にある地域の集団自爆も聞かない。そのことを、うちにいらした方に話したら「皆、生きることに大変な所は、生きることに必死で、余分なことは何も取られて、生の本質が見えて、だから大事にするのではないかしら。」とおっしゃった。とても納得した。生きることに必死で「暇」ではないのだ。

自殺したアメリカ人男性のことを考える時、残念に思うのは、もし自分のことだけを考えるのではなく、人のことも考えることができたら、自分が他人のためにどれ程のことができるか気がつき、そうしたら、めちゃくちゃ忙しくなっただろう、ということだ。(彼なりに忙しすぎて自殺した可能性もあり、あくまで私の「暇」だったんだろうという推論にたっての感想)人の立場にたち、行動することによって、人から求められ頼りにされたら、違った種類の生きがいを彼にもたらしたはずだ。

という様なことを暇な時に考えた。あれっ、やっぱり「暇」って必要かしら。

 

AI(Artificial Intelligence=人工知能)!!!

もう何年か前に、アメリカに住む姉の家に行った時、二人で筒状の小さなコンピューターに話しかけて明日の天気を聞いていた。うわ~、ここまで来たか、と思った。どこまでがAIのなせる業か知らないけれど、「便利」を追求する一番の担い手であることには間違いない。便利=人の手間を省けること、と規定すると、これからの老齢化社会には必要なものもあるだろう。どうしても世の中は楽な方に流れるので、これからAIは幅をきかすことになるだろう。

ここでは、それをどこまでやっていいの?ということを考えたい。まず、AIの進出によってすぐに思いつくのは「人の労力」が要らなくなるということ。産業革命で機械化が進み労働者は仕事がなくなって怒ったが、今は人の頭脳に関係する分野でもそれが起こる。過去のデータの蓄積はお手のものだ。計算も速いし、統計的に推論もできる。ということは医療の分野でも十分機能する。もし、この病気にはこれ、といった療法がマニュアル化されているものがあれば、うちでコンピューターに自分の症状を打ち込めば、たちどころに直し方もわかるようになる。多分、セカンド・オピニオンを求めるまでもなく、あっという間に選択できる治療法が幾つか示され、それを自分で選択できるようになるだろう。

サプライズで、家族がAIと一緒になって帰ってきたお母さんに誕生祝を演出するコマーシャルをやっている。その時に思った。素晴らしい、誕生祝をされたお母さんもさぞハッピーだろう。でも、二度目はどうかな、と。多分もうサプライズではなくなる。マニュアル化されてしまったら予想できるから。手間がかからない分、容易になるけれど、人は実は自分のためにかけてくれた手間に、感謝とか喜びを感じるのではないだろうか?

アメリカの姉がよく、こちらではプレゼントは、手作りが何よりも喜ばれる、と言う。もてなしも手料理が最高だとか。プラグマティズムが主流のアメリカで面白いな、と感じたが、やはり心に関する分野はAIが人にはかなわない所だと思う。

医療でも、人によって体が皆違う、そこを昔のお医者さんは聴診器を使って、長年の経験と勘で診断を下した。経験を積んで、鋭い勘で治療できる人を名医と言った。また、本当の名医は、患者の心にも向き合った。医療が機械的になればなるほど、実はAIに近づくわけで英語でいうalternative(代替可能な)ものになっていってしまう。

せせらごぎとお花。いつ見てもほっとする。

人の心はマニュアル化できない。しかも始終変わる。そこに人間関係の面白さも難しさもある。そういう心にしなやかに寄り添っていくのは、やはり人の心しかないと思う。その分野にAIが入ってきて、人が使い方を謝ると、人の方が無機質化してAIに近づいていかないか、そして、奥ゆかしい日本文化にも多大な影響を与えることにならないか。これが杞憂であればいい、と切に願う。

(注)AIとは、人間の知的営みをコンピュータに行なわせるための技術のこと。またはそのプログラム。経験から学び、新たな入力に順応することで、人が行なうように柔軟にタスクを実行する。

介護の後で

父がが亡くなってから、七ヶ月が過ぎ、母が亡くなってからは、まだ半年過ぎたところだけれど、なんかもう、月日が随分流れたような気がしている。親戚の人が、がっくり来るよ、寝込むかもしれないね、と心配してくださったけれど、ミーディアムを通じて両親が出てきてくれたせいか、喪失感がほとんどない。ただ、最近、母が使っていた櫛に母の白髪が何本かついているのを見た時、なつかしさがこみ上げて来て、暫く撫でていた。

そんなことなら、母の髪を一房、切っておけばよかったのだけれど、何となく嫌がるかなと思い、また死者に対して冒涜のような気がしてしなかった。なかなか素直に二人に感謝できなかったけれど、今になっては、やはり世の中で一番私のことを思い、気にしてくれた人達だと感謝できる。

父の下の世話は随分したが、母は嫌だろうと思い全くしなかった。でも考えてみると、始めに入った施設で、オムツの取替えをする時は必ず「外に出ていてください。」と言われたので、そういうものかと思い最後までそのようになってしまった。特別そのことに関しては母は何も言ってなかったので、ほっとした。

土、日は必ず、一人ずつどちらかに行っていたので、(一日しか行けない時は一日に二人を見舞った)土、日にどこも行かなくていいということが、こんなに楽で、その分時間があるというのは、私にとってとても新鮮だ。毎日鏡の中で見る自分の顔も心なしか、最近疲れが取れてきた。今になって、やっぱり大変な六年間だったんだと思う。でも色々な方と知り合い、親身になって下さった方とも沢山出会えて、そういう意味では充実した日々だった。

 

美しい顔がぼけてしまって残念!滝を見て下さい。

両親に密に接することができて、アメリカの姉には悪いなと思ったことさえあった。相続に関する宿題が沢山あり、また当分それで駆け回らなくてはいけないが、両親や先祖の方々が向こうで、残した財産に誇りが持てるような受け継ぎ方をしていきたい。スピリチュアリズムを教えて頂いているE氏がよく「自分が汗水たらして得た財産でないものに、執着するのはおかしい。」と言っていたが、その通りだと思う。だから世の中になるべく還元できたら、と思っている。(とは書いたものの、相続の結果プラスになるかマイナスになるかは今のところ見通したたず)

もし余裕があったら、今、一番気になる、虐待防止に何か役にたてることができればいいなと考えている。

 

 

医療に対する関心(2)-虐待についてー

社会問題の中で、私が何に一番心を痛めているかと言うと、「虐待」です。日本が一番様変わりしたと思うのも、親の子供に対する無償の愛がどこかに行ってしまったことです。

みんなとは勿論言いませんが、子供を自分のできなかったことの投影物にしたり、子供にかけたお金を子供から回収できるように思い込んだり、果ては孫ができないと嘆いたり、自分の将来のヘルパーになることを期待したり。。。要するに全て自分可愛い視点で、子供を見る、そしてそれがもっと高じると、ストレス解消の対象、もしくは新しいダンナにいい顔したくて虐待に到る。子供は神から預かりものであり、子育てはボランティアとスピリチュアリズムで教わったけれど、そういうことを知らなくても、愛情一杯で日本の母は子育てをしていたはずです。

不苦労とお花。背景はもっとすっきりさせなければ。

5月26日の朝日新聞beで、紹介されている友田明美さんという小児神経科の先生の記事から、虐待に関する重要な記事をみつけました。抜粋します。「厳しい体罰を受けた人は学びや記憶に関わる『前頭前野』が萎縮し、感情や思考をコントロールし、行動抑制力にかかわる部分もちいさく」なり、「暴言を受けた人はコミュニケーションのカギを握る『聴覚野』が変形」する。「言葉の暴力は身体的な暴力より脳へのダメージがはるかに大きい」「家庭内暴力を目撃した人と性的虐待を受けた人もそれぞれ「視覚野」が縮小していました」「(人間の脳は)大切な時期に、強いストレスがかかると、苦しみを回避しようとするかのように脳が変形し」「その脳の傷によって後に暴力的になったり、感情を抑制できなかったり、人間関係がうまくとれなかったりする」「薬物依存症やうつなどにもなりやすくなります。」

虐待で目をひくのは死に到ってしまったケースですが、この記事を読むとそこまで行かなくても、子供に対する声かけがいかに大事かわかります。母の姉に対する悪意のない一言が、いかに姉のトラウマになってしまったか、これで良くわかりました。要するに、子供は親の持てる愛情全て、というくらい注ぎ込み、それを態度、言葉できちんと表現することが大切なのだと思います。態度、言葉は心が出てしまうので、底に本物の愛情があること、これが必要条件だと感じます。

怖いのは、虐待の連鎖です。愛情を受けて育たなかった子は、自分の子供の愛し方がわからないといいます。救いなのは、血がつながっていなくても、本物の愛情を注いでくれる人がいれば人はきちんと育つということです。良い養子縁組なら、その方が子供も明らかに幸せでしょう。側に子供を見守る祖父母、親戚、近所の方がいるだけでも子供にとったらセイフティー・ネットになります。また医学的には「(傷ついた脳も)安定した環境や愛情の再形成(で回復します。)」ということでした。

とはいう私も、子育てに関しては間違ったことをしたことが多々ありました。友田先生から見たら「それも虐待です。」と言われるような、言動もあったと思います。友田先生ご自身も「自分の子育ても失敗の連続だった」と話されるそうです。

気功の仕事がもう少し軌道に乗ってきたら、子供の虐待の問題にも、経験と反省を踏まえて具体的に力を入れていくつもりです。

医療についての関心(1)ーがん免疫治療ー

クラスに参加くださっていたSさんが亡くなられてから、もう一年過ぎた。癌の再発が原因だった。私としてもどうしようもなかったけれど、もっと癌について知りたい気持ちと、日進月進の研究にも目配りしておかなければ、という気持ちがあり、新聞でみつけた最先端の癌治療についての講演が立川にあったので行ってきた。(何と無料)

初心者にもとてもわかりやすい講義で、驚いたことも沢山あったので自分の整理のためにも書いておきます。がんの原因は正常細胞に遺伝子変異が積み重なるためで、その特徴は○形が正常細胞とは違う○がん特有の物質を作る、などがある。

がん細胞の頭の(?)良さに、は~と思った。それは、○本来、自分を攻撃するはずの免疫を騙して自分を守らせる壁を作る。○免疫からの攻撃を避けるためにCTL(注1)を騙して友達のようなふりをする。(免疫逃避機構)○血管を引き込み、栄養は自分で確保する(血管誘導能)○がん幹細胞として骨の中にひそみ、休眠後は活動を再開し、再発・転移する。その際、新たな傷がつき、悪性度が高まる。◎がんはCTLの攻撃を受けた場合、攻撃目標(注2)を意図的に隠すことがあり(エスケープ)、そうなると、CTLは相手を見失う。とこれだけ生き延びる戦術を持っていることだ。

新しい免疫療法は◎に注目し、オプジーボなどの抗体では、がんのエスケープに対抗しきれないと考え、攻撃目標が多数になるようにデザインすることを目指した。がん細胞は人により異なるので患者自身の樹状細胞と自身のがん細胞を融合させたワクチンを作り(fusion)このワクチンを体内にいれる事により、CTLに沢山の種類のがん細胞の情報を提供させた。(樹状細胞のCLT細胞への教育)。融合細胞によって教育されたCLTは、目印を頼りにがんを見つけ、がん細胞に結合して攻撃する。攻撃されたがん細胞は、細胞の自殺(アポトーシス)をお越し死に至る。

がん細胞の目印は多数あるため、患者本人のがん細胞を情報源とするのが最適で、ワクチンの副作用は微熱程度しかないのが長所だが、いわゆるテーラーメードワクチン(自分だけ用)ということもあり、まともにやると五千万円かかるということだった。

玄関のお花。投げ入れはあまり得意ではありません。お花は大好きです。

大変ためになり講師の先生に「この療法はがんが遺伝子変異のためにできると考えていますが、例えば、ピロリ菌が原因の場合でも効く療法ですか?」と聞いてみたら、「一緒です。」というお返事だぅた。よく考えてみたら、原因が何であれがんという細胞には変わりないのだから、一緒なのは当然だろう。

感想:とても期待したい療法だけど、高値の花。(本当は高根の花)がんになった時、治験とか募集していたら、応募してみたい。生かしておくには年を取り過ぎている、と思われたら悲しいけれど。しかしがん細胞は頭がいい。でも、もう少し頭が良くなって、宿主を殺してしまったら結局自分も滅ぶ、と気がついてくれたらいいのに。AIをがん細胞にfusionするというのはどうかしら?SF的発想ですね。後20年もしたら、がんは克服できるでしょう、という先生のお言葉が頼もしかった。

(注1)CLT=cytotoxic T lymphocyte (細胞傷害性T細胞) リンパ球T細胞のうちの一種で、以前はキラーT細胞とも呼ばれた。免疫細胞療法の中では、がん細胞を傷害する代表格で、本来、がん治療に用いる場合、実際にがん細胞を攻撃することを確認したものをCLTと呼ぶ。

(注2)攻撃目標=がんの目印になるもの。たんぱく質が分解されたものでペプチドと呼ばれ、アミノ酸が10個ほどつながっている。細胞融合(fusion)でがんの目印全てを樹状細胞に渡す。

☆5月24日立川グランド・ホテルにおいて細胞治療技術研究所による講演に基づいて書きましたが、もし、私の思い違いなどありましたら、ご指摘頂きたいとおもいます。よろしくお願いします。