月別アーカイブ: 2018年5月

ちょっと失礼な話

今日は「食」について、ちょっと失礼な話を書こうと思う。前にも書いたと思うけれど若い時、ツアーを利用して友達とイギリスに行った。その時は七カ国ヨーロッパを回ったのだけれど、一番初めに着いたのがヒースロー空港、つまりイギリスだった。始めての海外でもあった。その時食べたイギリスの食事はどれを食べてもまずくて、荒く刻んだキャベツには、まだ土が付いていたりした。レストランで周りを見回すと、イギリス人が家族でも友人でも、黙りこくって出されたものを食べていた。私達は、「イギリスの人って、食べることが楽しみじゃないんだね。まるで義務みたいに食べて。これだけおいしくなければ、しょうがないか。」などと勝手なことを言っていた。

最近になって、どうやら日本人の食に対する意欲、関心は尋常ではない、ということがわかってきた。ある外国の旅行客の言っていることを耳にした。「『ご当地自慢』と書いてあるので何かと思って行ってみたら、食べ物だった。日本はどこに行ってもそこの『自慢』の食べ物がある。」確かに、そう言われてみれば。。。iイギリスに行って以来、何となく、外国の方は食にあまり関心もなく、味覚もそれなりになっているのだろう、と思っていた。

もうアメリカの生活の方が日本より長くなった姉が、日本でうちに滞在した時、夕食の後、「いいわね。あなた達、毎日こんなおいしいもの食べているの。」と溜息交じりに言った。(私の手料理、少し自慢)確かにアメリカでは生活が忙しく、外で食べるお昼は必ず、マクドナルドの類で毎日続くと本当にあきる。姉は日本人だから、やはり日本食が好きなんだと思っていた。

しかし、最近テレビを見て気がついた。日本の食のおいしさに気がついた外国人が、「これを食べたい」と目指してまで、日本にくる。または海外でも「日本食」はおいしいと、インスタント・ラーメンが人気だったりする。ということは、人の味覚は食べ続けたものを美味しいと感じるだけでなく、誰が食べてもおいしいものはおいしい、という人類共通の味覚部分があるのではないのだろうか。これは私にとって大きな発見だった。そうだとすると、これからも日本食は世界を席巻するだろう。

季節はずれですが、お花はいつ見てもいいですね。

これで終わってしまったら、気功師のブログらしくないので、もう少し書いておこう。人の中には良心というものがある。多分これも、人類共通の味覚と同じく、人なら誰でも共通に、多少の差はあれ生まれた時から与えられているものなのだろう。良心はスピリチュアリズムで、人は心に神を持っているという根拠でもある。これがあるために、人は嘘をつくと心が痛む。残念ながら嘘は人にはつけても、自分にはつけない。そして良心はそれを本当は許さない。(人のためにつく嘘もあるが、これは良心が納得する)結局、嘘をつくことで痛めつけるのは自分の心、ということになる。今、これに気づいて欲しい方が何人もいる。

父、母、その後 (まとめてブログ[1])

父と母のその後を書いておこう。(???)5月4日に叔母様と従姉妹が親子でこちら方面に来るというので、おば様には一度もうちに来て頂いたことがなかったし、自宅に来ていただくことにした。従姉妹は愛知県で、700床の大病院の精神病院の理事長をしている。お父さん(母の弟)から受け継がざるをえなかったのだが、とても謙虚できさくで付き合いやすい。叔母様も両親のことを大変案じてくれて、大変お世話になり、あり難かった。

しかし、ここに難問が。。。お二人とも、特に従姉妹が無類の綺麗好きで、ストレス解消が掃除と整理(捨てられる人)という、私にとってはこの点こそが手に届かない存在の人なのだ。来る二日前から、しぶしぶ?整理を始め、(弁解しておくが、掃除は好きでも嫌いでもない。幸いなことに汚れている所にいるのは嫌いだ。)G.W.中、一人でタイに遊びに行った人の片付けを真似て、せっせと目に付くものを二階や孫のおもちゃ&仏壇がある、ほとんど物置部屋になっている所に移動した。

だけれど、六年間、両親の介護のために目をつむっていた部屋の片付けはなかなかできず、というのもたまには整理しなくてはと思っていた所にくると、どうしても本格的に手を入れてしまうからだ。来る一日前にやっと「後三時間あれば、どうにかなる。」という所まで来た。12時に国立駅で迎えることになっているので、うちを11時過ぎに出るとして、明日は7時に起きれば大丈夫、と思いながら寝た。

つつじの美しい時も今年は早かったです。

さて当日、7時にきちんと目を覚ました。しかし、朝に弱い私は、後30分と思いながら、再び眠りについた。すると、母の「あつこさん!!!」という大きな声で飛び起きた。時計は7時半を指していた。その「あつこさん!」という声は「あ」と「さ」を強く言う独特のイントネーションで、結婚してから私を怒る時は、遠くからでもこう叫び、少し辟易した覚えがある。声も間違いなく母のもの。あまりびっくりして、いっぺんに目が覚めてしまった。お陰で無事、掃除も整理も終わり、叔母に「汚い、汚いと言っていたけれど、普通に綺麗じゃない。」(とても綺麗とは言わなかった)と言わしめたのだ。

後日姉にまた報告したら、「お母様もあの世に行ってからも、気を使って大変ね。」と今まで以上に大笑いしていた。やはり母に感謝するべきだろう。

 

LINK 出店報告

五月13日、国立市大学通りで、スポーツイヴェントである「LINK」に出店した。10時からで、3時過ぎには雨が降ってきて早めにお開きになったが、始めてのことだし誰も来ないかもしれません、とクラスの方には言っておいたのだけれど、意外にたくさん来て下さった。

午前中はいらした方が二人だけだったので、少し工夫が要ると思い、「KIRAKU」としか書いていなかった看板に「気功ヒーリング¥300/10分」とチラシに書いてぶら下げてみた。それで立ち止まる人が出始めたので、積極的に声をかけながら、もう一押しと思い、「首、肩、腰」と書いたのもつるしてみた。ここが治ると書くのはまずいかもと思い、ただ体の部位だけを書いた。

斜め前が本部席で、始めは可哀相に思ったのか、本部の方が来て下さっていたけれど、チラシが功を奏したのか、声をかけなくても人が入り始め、午後は応援の方三人と私の四人で一生懸命しても待つ方まで出るようになった。夕方は大雨になってきて、粘っていたけれど他の所は撤収してしまったので、もう、終わりね、と片づけている最後にも、一人来てくださった。思いの他沢山来てくださり、やりがいがあり、とても楽しかった。

下に見えるのは土ではなくお花です。大きな木も好き。

でも一番嬉しかったのは、午前中親子で、午後は三人応援に来て下さったクラスの人が、知らない方でも物怖じせず、たんたんとヒーリングして下さり、任せておいてもきちんとヒーリングできるまでになったことだった。中には「私は、何もしません。ただ座って見ているだけ。」と言っていた方も人がみえると熱心に手を動かしていて、皆さんのためにも、こういう場を増やしていこうと考える場になった。

帰りは国立に住んで20年も経つのに知らなくて、クラスの方につい先日教えてもらった「高倉町珈琲」で反省会を兼ねながらお茶を飲んだ。偶然、昨日その「高倉町珈琲」が「カンブリア宮殿」に出て、国立店も映ったようで(店の作りがどこも似ていると思うので、本当のところはわからない)なかなか思い出深い出店となった。出てくれた人が、「面白かった。」と言ってくれたので、私もとても満足しました。来てくださった方達にもお礼を申し上げます。

相続の書類

父と母が相ついで亡くなり、税金関係、年金関係、お墓関係と書類をたくさん取り扱わなければならず、ただでさえおっちょこちょいなので、揃えて送ったと思っても足りなかったり、印鑑を押すところが抜けていたり、他にも何らかの落ち度で書類に不備がでるだろうことは簡単に予測できた。(勿論、予測できたからといって、威張れることではない)覚悟はしていたといっても、お通夜、お葬式、四十九日の法要と慌しく、疲れてもいたしやはり両親が亡くなって動転もしている。余計ミスが多くなる。

綺麗なお花頂きました。父方の祖父、百合が大好きでした。

そこで、考えた。行かなければいけない市役所の各部門に行って、亡くなったことを告げ必要な書類(夫々複数になる)を受け取る。次にそれら、つまり戸籍、住民票、年金関係にいる書類をそのまま袋に入れて、ついでに自分の証明書、印鑑も入れておく。送られてきた書類もそのまま入れておく。もし、記入すべきものがあれば、しておく。それらを全て持って、(自分でそこから必要書類を選ぶことをしないで)提出すべきところに行き、「ここから必要な書類を全て取ってください。」と言う。相手はプロだから必要な書類を必要な枚数だけ取って、もし記入漏れや印鑑の押し忘れがあれば、その場で完成させる。証券会社にも同じようにした。

うちの場合、去年の夏に、二人共練馬区からここに住所を移したので両方から書類が押し寄せ、余計大変だったけれど、うちで書類と格闘するよりもこの方がずっと楽で、よく書き方がわからないものは担当の方に見て頂きながら記入していった。素人は介入しないで、プロからプロへというやり方で、たまに書類が足りなかったりしたら直接相手の担当者に電話して下さり、「私が失くしたかしら。」と思い悩むこともなかった。さっさとできて気持ちよかった。

若い頃、幼児や赤ちゃんの洗濯物で振り回されていた時、友人が「干して取り入れてたたんでタンスに入れるから大変なのよ。干したらそのまま室内に持って来てそこから必要なものを直接取るの。」と言われ、確かにそうすれば時間短縮になると感心した。けれど、お母さんが服をたたんだりしまったりするとオーラマーキングに(お母さんの子供を思うオーラが服に付着し子供が愛情を受け取る)なるそうで、それを知ってしまったら、これはあまりお勧めできないが、書類はオーラマーキングする必要がないので書いてみた。必要な方は参考になさってください。