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介護に関して思ったこと

多分私は、自分の両親だったので当然のことと思い、世話をした。周りや親戚の方が「本当に大変ね。」と言って下さったことが多かったけれど、いつも「いえいえ、とても大変なのは直接お世話してくださる方達。私は両親がどこにいるべきか、の場所の管理が主ですから。」と答えていた。

少し認知の入った、娘の言うことを全く聞かない父と要介護5で六年になろうとしている母をうちで見なくてはいけなかったら、どうなっていただろう。どんなにヘルパーさんやケアマネさんが助けてくれても、夜はほとんど眠れないだろう。自分が真っ先に天国に(行けたら)いっていたかもしれない。

また、お嫁さんの立場で同じ状況だったら、余程労働として評価され、感謝されなければ割に合わない、と感じただろう。これだけ「家」的な感覚は崩壊し、立場上の「嫁」だけが生きているのは不思議といえば不思議なことだ。相続も嫁はかやの外。実家を兄弟が継いでいれば、実家にも平等な相続を主張するのははばかられるだろう。母はそうだった。(誤解されないように書いておくが、私はそれでよかったと思っている)

介護にも色々なケースがあるが、私は当然、両親のどちらかが介護が必要になれば、一方が主になり、私が手伝い、残された一人を私が看ればいいと思っていた。うちの両親は、年齢差が8歳~9歳なので、当然父を母と介護するものだと思っていた。そしてそれを何となく楽しみにも感じていた。

それなのに母が六年前に倒れ、その時90だった父に何ができるというのか。ようするに一度に二人の介護がスタートしてしまった。何度も父に、母と一緒の施設に入所することを勧めたが、頑として拒否され、泣く泣く遠い練馬まで行ったり、母に会わせるため国立まで送迎することになった。色々足りないことはあったけれど、最後まで好きにさせてあげようと努力したことは認めてほしいな。

うちの中に今お花が沢山ある。花の癒してくれる力が有難い。

お母様も、もうすぐそちらに逝こうとしています。現世で優しくしなかった分、今度はお父様がしっかり、お母様をお世話してください。そして二人で浄化して、天国で暮らして下さい、というのが私の希望です。こちらのことは心配無用。私は太りすぎに気をつけて元気にやります。子供達も意外としっかりやっています。みんなで可愛がった甲斐がありました。有難うございました。

父のことーこれで最後

よく考えたら、父が寝付いた時間は短かかった。二月までは一人で杖をつきながら歩いて、普通の食事をとっていた。四月に肛門の手術をしてからあやしくなり、5月の母の日に入院してから、とうとう施設に帰れなかった。

私が一番大変だったのは、病院に入院して退院できれば問題ないのだけれど、父のように状態が悪くても、もうその病院で有効な手立てがない場合、どこか他の病院か施設か自宅に移らなければいけないことだ。

医師や相談員の方と何度も何度も面接して、行き先を決める。容態が変わることもあるので、看護師さん達とも連絡をとっていかなければならない。施設の方もいつ帰ってくるのかと心配して下さっているので、報告しなければならない。今回父と同時に母も8月からおかしくなり入院になったので、一番暑かった7月、そして雨の多かった8月と父の転院、母の入退院に付き合った。

お花を色々な方から沢山頂ました。感謝です。

そして病院に入っても、転科と言って部屋が変わったりする。また、最期になると、個室になるので、また部屋が変わる。これは看護師さんが全部してくれるので、手間はかからなかったが、どうしても個室は差額ベッド代が高いので時期をよく考えなければならない。

後は、下着と靴下の交換のため、持って帰って洗濯して持っていく。退去した施設からの引越し。これがばかにならない。ソファー、車椅子、サイドボード、衣類、布団、他細々とした物。仕分けして業者を呼んだり、リサイクルショップに持って行ったり、施設でひきとってもらったり。

帰ってからも母の膨大な衣類の仕分け、整理。父の衣類も同じように。これらをしたのが全て夏の暑い時。よくもったな、と思ったけれど、昨日お嫁さんから衝撃的な発言が。。。「お母さん、夏が一番太っていましたね。」!!!

父よ、母よ、丈夫な体に生んでくれて有難う。そして気功師になっていて良かったです。それにしても、患者本人にも家族にも大変な負担がかかる「移動」なんとかならないかしら。。。