月別アーカイブ: 2017年7月

父のつぶやき

父は、五月の母の日以来、尿が出なくなって入院している。そのせいで父が管理していた色々なことが全部押し寄せてきて、ただでさえ忙しい生活だったのに事務的なことで忙殺されている。特に豊橋の田舎の山にある、内部を船に模した自分で設計した家(父が何よりも大事にしていた)が50年以上も建ち、これをどうしたものか頭を悩ませている。急な坂の上にあるので、私は何十年も前から「年とってから、この坂は上れない。売って、もっと優雅な生活すればいい。」と言ってきたのにその度に激怒して、「貴子にはあの家は譲らん。」と親戚にも触れ回った。

涼しそうなので、暫く富士山シリーズです。

涼しそうなので、暫く富士山シリーズです。

ある日病院に行った時、積年の恨みとばかり大声で言ってみた。「多米のうちはどうするの?私は豊橋まで行って管理できないよ。固定資産税、ばかにならないんだけど。。。」すると「わしも行きたいんだけど、どうにもならん。だけど行っても、庭の手入れもできないから。わしはもう何の役にもたたん。」

えっ、と思った。思わず「お父様、誰も何の役にもたたないのよ。」と返した。私にしたら、いつもやたら威張っていた父の意外な返事だった。言いながら突然訳のわからない悲しみが襲ってきた。

人は多分、自分は何かの役にたっていると信じて生きているのではないのだろうか?でもそれは本当だろうか?他の生き物から見たら、或いは地球からみたら、ひょっとして迷惑だけな生き物ではないのだろうか?そのことを最近、特に気候で感じる。結局人は、人生を自分なりに精一杯、謙虚に生き抜くしかないのだろうと考えながら、病院から帰ってきた。

不思議なカレーの話

まだ父母が元気な頃、一緒に千葉の御宿に旅行に行ったことがあった。そこのホテルで買ったレトルトカレーが「おいしかった。」と後で母から電話があった。現在、実家にだれもいなくなり荷物の整理をした時、取り寄せたのかそのカレーがいちダースあり、父も食べるかも、とうちに持ってきた。長男夫婦や他の方に分けながら、うちでも食べてみた。本当においしい!!!従姉妹にはあげられなかったし、うちにももっと欲しいなと思い注文することにした。

発売元に電話すると、もう個人には売ることはしないで「ギフト・カタログ」を手に入れて、そこからの注文なら、と言う。御宿のホテルにも電話してみたが、同じ答えだった。あまり物事に執着しないタイプだが、何故かとても欲しくなって次の日、立川に行った時にデパートのギフト・カタログを片っ端から見てみたけれど、みつからない。がっかりして、しょうがない、諦めようと思った。

私の姓は富士山に関係があることをこの前の法事で始めて知った。

私の姓は富士山に関係があることをこの前の法事で始めて知った。

その次の日、ピンポーンと宅配がきた。見るとこのブログでも書いたA先生の49日の法要の品だった。まあ、お通夜もお葬式の時も振る舞いが豪華で、食べきれないくらい頂いたのに、ご丁寧に申し訳ないと思いながら、包みを開けると、ギフトカタログだった。えっ、まさかとカレーをさがしたけれど、見つからない。そうよね、いくら何でもタイミングよすぎるわ、とカタログを閉じたら表紙に見覚えのあるカレーが目に入った。そこでもう一度よく見直したら、あった!捜し求めた(といっても二日だけだけれど)カレー。。。と、豪快なA先生の笑い顔が脳裏に浮かんだ。あっ、先生だ、先生からの贈り物だと確信し、笑いがとまらなかった。

従姉妹にも同じギフトカタログがいき、私が推薦したカレーを頼んだ、とまた二人で笑いあった。積極的で陽気で親切でお茶目な先生らしい、と嬉しく思い、向こうの世界におられる先生に感謝を伝えた。