月別アーカイブ: 2017年5月

どんな時でも元気になる

「どんな時でも元気になる」という題にしたのは、近年になく五月は相当私にとって厳しかったからだ。親しかった方お二人があっという間に亡くなられた。一人は親戚同然のお付き合いをしていた、仙川にある病院の院長までなさった女医さん。もう一人の方はクラスにも顔を出してくれていた方。家族の方とも顔見知りだった。お二人とも癌の再発が原因だった。他にも叔父危篤の知らせが入り豊橋に走ったり、父が「母の日」の朝、施設から救急車で病院に運ばれて、まだ退院できない長い入院生活が始まった。他にも湿疹がなかなか治らなくて困っている方、介護で疲労困憊になりダウンした方、それから熱中症で意識不明までいった家族とか、なんだか病気のオンパレードだった。お葬式に行ったり弔問したり、遠隔診断したりヒーリングをうちでしている間に五月が終わってしまった。

こう書くと何だか不幸ばかり起こっているようだけれど、一つ一つを気持ちをこめて接したのでかえって疲労は残らなかった。あの世に送った方にも女医さんには「向こうでも是非スピリチュアル・ドクターとして活躍して下さい。」と話しかけ、もう一人のSさんにも「お仕事も子育ても最後まで良く頑張られましたね。ゆっくり休んでまたご家族見守ってね。」と話しかけた。魂は永遠と信じてなければ、かなり落ち込んだと思う。本当は最後まで気功師として関わりたかったけれど、女医さんは去年の法事にお会いして今年になってもお仕事なさっていたし、Sさんは最後はご家族と過ごされていたので邪魔してはいけないと思って連絡も遠慮した。

一緒に見た桜、すごく綺麗だったね。あなたのこと、忘れないよ。

一緒に見た桜、すごく綺麗だったね。あなたのこと、忘れないよ。

でも不思議なことに、Sさんが入院した同じ病院の外科の同じ階に父が一度目の入院をし、もう退院したあとだったけれど、行く度に家で療養なさっているSさんを思った。驚いたのは父が二度目の入院を泌尿器科でしたのに、又外科の同じ階に入院し、一週間そこにいた。そして他の階に20日に移ったのだが、彼女は19日に亡くなられたと連絡を頂いた。私は彼女が入院している時は度々お見舞いしたので、余計行く度にああ、父がいたこの部屋に彼女がいたな、とかあの頃は本当に桜が綺麗だったなと思いをはせていた。

一緒に弔問に行った方は、なんと19日にSさんを友達と見かけたと言った。ああ、あんなにお元気になられたんだと一瞬思ったという。

お仕事が生きがいで80歳すぎても現役でいらした、どちらかと言うと男性っぽくて、謙虚で可愛いらしいところもあったA先生、強い心を持ちながら、優しさとユーモアが魅力だったSさん、50代半ばでまだ中学生のお子さんのことも心残りでしょうけれど、この世の苦労は忘れて、(誰でも反省の日々を過ごすと聞いてますが)あちらの世界でも輝いてご活躍ください。いずれ私も行きます。精一杯のことをして、お二人に拍手で迎えられるように頑張って生き抜きます。                                                                            合掌

 

 

 

危ない二つの経験

今日は、ひやっとした経験を二つ書いておきます。一つは、道路上のことです。ある日、道を歩いていると、救急車の音が歩いてきた方から聞こえてきたので、あっと思って足を止めました。四辻を通りすぎたところでした。すると、通り過ぎた四辻の右の道路からも救急車の音が聞こえてきたのです。えっ、と思って見ると丁度同じくらいの距離から来るのです。大きな道路ではありませんでしたが、信号はありました。でも救急車って信号関係ないわね、と思っている間に二台がみるみる接近してきたので、あっ、お互いに大きな音を出しているので聞こえなかったら衝突?と思って道の真ん中に出て手を大きく振り、90度の角度からも救急車が来ていることを伝えました。と、四つ角で救急車が止まったのです。お互いに分かっていたかもしれません。でも用心にこしたことはない、と思っての行動でした。交差点で二台の救急車が出会う確率は低いと思いますが、なきにしはあらずなんだ、と学びました。結構怖い経験でした。

菜の花を見るとほっとします。もうそろそろ、おしまいですが。

菜の花を見るとほっとします。もうそろそろ、おしまいですが。

もう一つは熱中症です。家族と父の施設に行きました。彼は風邪気味で昼間寝ていたのですが、その部屋はすごく暑く、私は5分もいられませんでした。夕方、父を部屋から廊下へ連れ出した時、彼は「気持ち悪い。」と言って廊下の椅子に座りました。嫌な予感がして、偶然カバンの中にあった水を飲ませました。飲んだ直ぐ後、目が虚ろになり焦点が定まらなくなり、驚いて名前を呼んでも、眼を開けたままぐったりしてしまいました。大声で「誰かいませんか?」と声を張り上げると、家族を訪問していた男の方が出てきて、「職員を呼んできます。」と言ってくれましたがエレベーターがなかなか来ません。部屋に戻り呼び出しベルを押し続け、事態を説明して、廊下に戻った直後、意識を取り戻しました。幸い看護師さんが駆けつけてくれて、首の後ろを冷やしたりポカリを大量に飲んで、大事にはいたりませんでしたが、後で考えると、水を飲んで胃に到達した頃正気にかえったのではないかと思い、怖くなりました。

明らかに、既に部屋の中で熱中症になっていました。私が「暑くない?」と聞いた時、「全然」と言ってましたが、風邪で寒気を感じている時には暑い感覚はないでしょう。それに薬を飲んでいたので、後から聞いたら寝ている間、汗をかいて二度ほど着替えたようです。体の中の水分を失い、温度も湿度も高いところで寝ていたので、熱中症になる条件は揃っていました。日本は5月の上旬で、もう熱中症を心配しなければいけない国になってしまったのです。夫々が気をつけるしかない、と重く受け止めました。