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(私が学んだ)霊格を上げる方法(3)

この前は霊格を上げる積極的な方法を書きましたが、今回は消極的な方法だけれど、誰でもできることを書いておこうと思います。それは、悪い「思い」を持たないこと。スピリチュアリズムによると、「思い」「言葉」「行動」は同じ意味を持つくらい「思い」は大事だということです。悪い「思い」と言っても今の世の中、誰しも不安があるし悔しさをばねにして飛躍する人もいます。ここで言う悪い「思い」とは、マザー・テレサの「もっとも素晴らしいものは」という言葉に入っている「妬み」と「恨み」をさしています。

誤解があるといけないので、少し引用しておきます。「最も危険な人は妬む人です。」「最も卑劣な行為は、恨むことです。」最後の行は「世界の中で最も強い力は信仰です。」「すべての中で最も素晴らしいものは、愛です。」で終わります。興味がある方はネットでも検索できます。余談ですが、「思い」と「想い」の違いを調べたら、ほとんど同じですが、おもう対象がある方が「想い」ということなので、「妬み」や「恨み」については「想い」でしょうね。

初登場。私の母。写真を撮る時はいつも目を閉じてしまいます。

初登場。私の母。写真を撮る時はいつも目を閉じてしまいます。

本当は自分に原因があるのに、人は、(勿論私も)不都合なことがあると、つい他人を恨んだり、その人の今までの努力や状況も見ないで、妬んだりしがちです。そういう時は心に好きな音楽を浮かべます。音楽が苦手な人は好きな風景や人の顔でもいいでしょう。私はピアノをしているので、大抵音楽です。昔から不思議に思っていたのは、本当の音楽家に犯罪者はいない、ということです。「妙なる調べ」という言葉は音楽のことで、音楽は霊界の上の方と繫がっているのでは、と勝手に思っています。

ですから今、義務教育で所謂主要五教科以外の音楽や絵画の時間が少なくなり、知識ばかりで情緒教育が疎かにされているのが、すぐきれる子供や大人が増えた原因の一つではないかと思っています。やはり人の幸福は「満たされた思い」にあり、何もしていない時でも良き思いに満たされていれば、霊格も上がるし、ネガティブな思いからくる不幸も寄せ付けないし、一挙両得というものです。と成果主義に陥るのは霊格を下げるようで、なかなか難しいことですが、皆さんと一緒に思う時間を大切に、生きていきたいと思っています。

(私が学んだ)霊格を上げる方法(2)

「霊格を上げる方法(1)」から時間がたち過ぎてしまい、何を書いたかわからなくなってしまって、見直してみたが、なかなか的を射た(「得た」でも間違いではないらしい)ことが書いてあった。(自画自賛) 話を戻して、どうやって霊格を上げるか。

母のいる施設のハロウィンの可愛い飾りつけ。

母のいる施設のハロウィンの可愛い飾りつけ。

これは学んだことを基礎にした、あくまで私の考えだけど、霊格を上げるには消極的方法と積極的方法があると思う。積極的方法は、ひたすら他者、特に助けを必要としている人、いわゆる社会的弱者を他人ごととしないで関心を持ち、できる範囲で、或いはできるできないさえも考えないで、ひたすら寄り添うこと。なにかしてあげようと思うと、上から目線になってしまうかもしれないが、その人の立場になり自分だったら何をしてほしいか考えることが大事だと思う。

マザーテレサやイエス・キリスト、日本でも叡尊がそういう生き方をした人達だ。社会的弱者に対して貶めたり、見て見ぬふりをしなかったどころか、一人一人の中に神をみた。叡尊の時代は阿弥陀仏の生まれ変わりと見ていたりする。ここら辺のことを書くだけで一冊本が書けそうだ。

勿論私は、そんな大役は上の世界から期待されていない。(だろう)でも聖人と言われた方達の、他者に対する心構えだけはお手本にできる。困った状況にある人達の中に神を見て自分がどう対処するか考える、少なくとも我が事としてみる。困った人だけではなく、誰に対してもこういう視点をみんなが持てば、世界は必ず変わってくると思う。消極的方法は(3)で。明日書きます。