月別アーカイブ: 2016年8月

たまには気功の話

承諾を頂いたので、Tさんの話を書いておこうと思う。ある日、女性からお電話がかかり気功体験の申し込みをされた。クラスに来て頂くと、「変形性関節炎」で手の指が左右何本か1.5倍くらいに腫れ上がっていた。二年近く痛みで苦しまれていたようだ。西洋医学も試したことを確かめてから、ヒーリングにかかった。

京都北山会館のお花

京都北山会館のお花

まず、邪気の有無を確かめる。(気功にとって邪気は希望と、いつも言っている。痛いところ、悪いところから、邪気が出ていなければ御気棒で出すことになるが、それでも出てこなければヒーリングが難しくなるから) 幸いなことにうっすら全体的に出ている。元をたどっていくと、肩甲骨の上まできた。そこを源として、ヒーリングを開始すると同時に何よりも痛みを取るのが先決なので、指を細かく御気棒を当てていく。

普段であれば頼りになるクラス生に実習のためお任せするけれど、この方はまず私がした方がいいと判断してどんどん進めた。その方は始めての気功ヒーリングだったので、「陽転反応」がかなり出ると思い、クラスをしながら陽転反応の説明もした。

次のクラスにいらした時、(正直、来て下さってほっとした)「気功ってすごい。気って何ですか?痛みがすごく取れて、指も曲がるようになりました。」と言って下さった。やはり大変な陽転反応が出て、余計指が痛くなったり、全身に発疹が出たりしたそうだ。良く陽転反応に耐えてくださった、と思わず感謝した。と言うのも、過去に二人程、陽転反応に驚いて途中でやめてしまった方もいたので。。。

「本当、指を切り落としたいと思った程痛かったのに、気功ってすごいですね。」ともおっしゃって下さったので、もう大丈夫と二回目からは交代でベテランの方にお任せした。さすが、我がクラスの生徒、きちんとヒーリングして下さりその後順調な経過をたどっている(生徒とクラスの内容と技術の自慢)

鳥居の上に天狗の顔が現れていると言われている所

鳥居の上に天狗の顔が現れていると言われている所

多分ご本人は気がついてらっしゃらないけれど、始めの暗いオーラが(私は見えないけれど、皮膚感覚でわかることはよくある)明るく活発なものになっている。初めの暗い声は痛みのせいだったのかと今は理解できる。本来は明るくて、自分で道を切り開いていくことができる元気な方とお見受けした。気功ではウィルスや細菌は殺せないし、手術のようなこともできないけれど、「得意分野」の中に「痛み」も入っている。これから医療格差が広がるといわれている中、世の皆さんに気功が如何に役にたつかを広く知っていただきたいと思う。(と、今日は真面目に締めくくります)

 

 

ある出会い(2)

もう一つ不思議な話を書いておこう。友達と京都の伏見稲荷に行った時のこと。京都伏見稲荷は現在、外国人の旅行者に人気ナンバー1のところだ。私は途中まで行ったことがあったけれど、友達が行ったことがないというので、一緒に稲荷山の上まで行くことにした。

長い長い階段を経て途中の茶屋で休みながら奥の院に着いた。そこでは観光気分の外国人の方が大勢いて、水分補給をしたり写真を取り合ったりしていた。伏見稲荷は「お狐様」が祀られている。『ある出会い(1)』で書いた自然霊の神様で、低級自然霊とは対極にある高級自然霊の神様である。何でも、日本では祀ってある神様の中で数ではダントツトップを誇るのは「稲荷神社」らしいが、それらを束ねる最高峰の神様だ。

今にしてみれば、ちゃんと真摯な気持ちで向き合わなければいけなかった。降ったり止んだりの天気の中、やっと辿り着いた安堵感と周りの雰囲気で、奥の院にお参りしたものの多分気持ちが入ってなかったのだろうと思う。

山に咲いている紫陽花(季節はずれでごめんなさい。京都に行ったのは六月でした。)

山に咲いている紫陽花(季節はずれでごめんなさい。京都に行ったのは六月でした。)

帰ろう、ということで私が先に立って階段を降り始めた。と、ぱたぱたという大きな足音が聞こえた。ああ、私よりも8歳も年上の方で、さすがにお疲れになったなと思った。後ろを振り返ったけれど、その方以外誰もいない。暫くして遂に私は「やっぱり疲れたよね。すごく大きな足音ね。」と言った。するとその方は「あら、失礼ね。私スニーカーはいてきたのよ。足音なんかするわけないじゃない。」と憮然としている。「えっ!うそ~、さっきからぱたぱたぱたぱた、聞こえるわよ。」と言うと、それでは友達が前を歩こうということになった。音は続いている。右側が草地になっている所に出た。すると、まるでそこを獣が走るような「ザワザワザワ~」という音が聞こえた。「今の聞こえた?」と言うと、「ううん、全然。」と言う。歩き続けると、今度は右後方に明らかに人(?)の気配が。ただ振り返っても何も見えない。そこで彼女にとうとう言った。「何か私について来てしまったみたい。」すると彼女も「実は私もそう思っていたところなの。途中勧請されている神社に(小さい造りだが全国の有名な神様が祀られている)お願いしてお帰り頂いたらどうかしら。」それがいい、いやそれしかない、一番初めに出会った神社で、ということになり少し下ると「伊勢神宮」が勧請されていた。天照大神が主神で、私の知る限り最高神なので、本当にほっとして、今日ここにお参りできたことを感謝し、奥の院で心が入ってないお参りを謝った上で「私の気持ちのゆるみから、ついて来たものがいます。どうぞここで帰られるよう、お諭しください。」と心をこめてお願いした。友達も一緒に祈ってくれた。

 

京都の一角。こんな所にも京都らしさが。

京都の一角。こんな所にも京都らしさが。

こういうのを本当に霊験あらたかと言うのだろう。それからは足音も気配もぴたりと止んだ。後から考えて二つのことを思った。一つは神に向かい合う時の自分の気持ちがいかに大切か、せっかく苦労して上っても、いつもの様にしっかり気を入れてなかった。勉強して知ったのだけれど、高級な神様の所には助けを求める人間ばかりではなく、不満?を持っている低級霊も高級霊を頼って集まってくるそうだ。全国には祀って願い事を叶えてもらった後は平気で打ち捨てている「お狐様」の社が沢山あるようだ。するとそういう「お狐様」は、ぐれてしまって低級化し、そうなると故郷である例えば、伏見稲荷のところにも帰れなくなるという。そういう「お狐様」が中途半端な気持ちの私に目をつけたのかもしれない。

それからもう一つ。実は前回書いた新聞の写真を、友達に見てもらおうとリュックの後ろのポケットに入れておいた。この低級霊が写っている(と私が感じた)写真そのものに反応したのかもしれない。(写真を暫く見ていると気分が悪くなるので見せた後は燃やそうと思っていたのだが)二日間の旅行で、見せることを忘れ、帰ってから「見たら燃やしてね。」とお願いして友達にスピリチュアルな本と一緒に送った。(友達が、私とある程度世界を共有している方でよかった。)怪しいものは持ち歩かない方がいいし、だからお守りもちゃんと持ち歩く意味があるという大事な教訓を私に残してくれた「出来事」だった。

ある出会い(1)

「黄色い花」は夏の象徴。近所の道端から。

「黄色い花」は夏の象徴。近所の道端から。

私は気功師なので、目に見えないものを信じている。どうせならもっと学ぼうとスピリチュアリズムを学んだり、アラン・カーデックの「霊の書」などを読んでいる。その中で「低級自然霊」という言葉を目にした。「自然霊」とはこの世に生を受けたことがない霊で「お狐様」「竜神」「天狗」などが良く知られている。「低級」がつくと、どうやら人に害を及ぼすらしい。勿論「高級自然霊」も存在する訳で、要するに人間と同じ様に波長の高いものから低いものまでいる、ということらしい。でも何かぴんとこなかった。

四月中旬に熊本地震が起きた。被害状況を心配しているある日、少し離れた机の上に置いてあった新聞に、奇妙な写真が写っているのに気がついた。土の中から出てきた龍の化け物、の様に見えた。不思議に思って近づくと、写真の横に「阿蘇大橋の近くの土砂崩れ」と説明があった。首、目、角もあるように見えた龍のお化けは「土砂崩れの跡」であった。一面をめくって二面を見るともっと驚いた。龍のお化けが出てきた所と同じ所から横に青虫と蛇を合わせた様な、なんとも奇怪な生き物が這い出している。ぼんやりと「そう言えば、熊本地震は大きな揺れが二回あったな。」と思った。

次の瞬間、「これが低級自然霊?!!!」とはっとした。多くの方に見てもらったが、ほとんどの方が認めてくれた。私の次の課題は、どうしてこの様な低級自然霊が生まれなければならなかったのか、ということだ。人間の、自然を粗末にする念がうみだしたのだろうか?今は「科学的に」証明できるものではないが、スピリチュアルの世界に真理は存在する、と確信している。続けてスピリチュアルな世界を探求していこうと思っている。

追記:写真が載っていた新聞は4/16、読売新聞夕刊