月別アーカイブ: 2015年2月

社会情勢についての雑感(2)

この前から今日までに、ますます世界はキナ臭くなった。やられたらやり返す、より強い武力や権力を持ったものが弱者を容赦なく押しつぶす。(政府が沖縄に対してしていることも大して変わりないように感じる)本当は宗教とか哲学はこのような、実は人が持っている野獣性をコントロールするものとして出てきたのではないだろうか?「憎しみからは何も生まれない」とおっしゃった後藤さんのお母様の深い言葉を大事にしたい。

旧ソウル駅の夜の風景

旧ソウル駅の夜の風景

どう考えても今の風潮は、経済やお金が「どう生きるか」を決める要素になっていて本末転倒の様な気がする。本当は「どう生きるか、どういう社会にするか」が経済やお金を動かすのではないのだろうか?お金がないから年金を減らし、介護も手薄にして税金を上げたら殺伐とした社会にならないだろうか?武器を作って売ることは、それがどの様に変化して「積極的平和」に繫がるのだろう。「風が吹いたら桶屋が儲かる」的なことならそこをきちんと説明して欲しい。怖いのは大して国民的な議論もなく、いつの間にか殺人に手を貸す国になってしまったことだ。

毎日毎日、日本でも理由なき殺人のニュース。「吉信ちゃん事件」でショックを受けていた頃がなつかしい。「人生の目的は何かを成し遂げることではない。生き抜くことである」と知ってよかった。どんな状況であろうと、自分が置かれたところで精一杯、心の中の良心(或いは神ともいう)の声に従って生きていこう、と決心は余計固くなった。

社会情勢についての雑感(1)

とうとう最悪の結果になってしまった。言葉にならない程悲惨な結末だ。後藤さんは身をもって紛争地域の状況を私達に教えてくれた。本当は他の国のジャーナリストが同じめにあっていた時にピンとこなければいけないのに、同じ日本人がこのような目にあい始めて身につまされるのは情けないことだけれど。。。

韓国の世界遺産の王宮の壁

韓国の世界遺産の王宮の壁

新聞と同じことを書いても意味ないので、他の視点で見てみようと思う。一つは社会学的に。人を結束させるのはとても難しい。だが簡単な方法がある。その一つは外部に「敵」を作ること。共通の「悪」(ほとんどは幻想だが)を作ると防御本能も働き仲間意識が芽生える。団結するには強力な敵を作り出す必要があるが、そのためには実はそのグループ自体が極端に強い思想を持つ必要がある。「自分達は絶対的に正しくて、他は全く認めることができない」という思想。過去にはナチスがそうであった。

今世界を見てみると、過激な思想を持ったグループが沢山ある。それぞれ極端なのでそのうち対立、分裂も起こり始めるだろう。その流れの中で共通の明確な「敵」を作りだしてはいけない。「自分は『敵』です。」と名乗り出てなんの得があるのだろう。自分の正義感を満足させるためだけだったとしたら、その代償は余りにも大きかった。日本人のこれからの未来に深く関わってくること。この事件をもって、世界の動きは日本人も一つ一つ自分のこととしてとらえなくてはいけなくなった。今までも、そうでなければいけなかったのだけれど。もう一つの視点は次のブログで。