月別アーカイブ: 2014年3月

苦しい生活を乗り切る方法

以前、雑誌で見た路上生活者の方の栄養の摂りかたに感心したことがあった。もっているお金は限られている。物は少しずつ沢山の種類を買うと割高になる。いわゆるまとめ買いがお得になる。そこで、一人が一種類だけをできるだけ沢山買う。何人かで材料を持ち寄ってお鍋料理をすると、栄養も偏らず、しかもお腹一杯食べられるのだそうだ。究極の生活の知恵だと思った。

花と光のコラボレーション

花と光のコラボレーション

私はこれから、庶民の生活はどんどん大変になると思う。生活を支えきれない、ということも起きてくるだろう。上記の発想はそんな時役にたつ。お互いに持ち寄って、豊かに暮らすという考えだ。住んでいる家が余裕があるけれど寂しい人は、家賃が高くて困っている人に安く間借りしてもらえばいい。子供が好きで沢山勉強してきた人は、子供にボランティアで勉強を教えればいい。経済的に考えればgive & give(与えるのみ)かもしれないけれど、人のために何かできる満足感を得られることを考えるとやはりgive & takeで、結局自分も人に支えられていることに気がつくだろう。

私の気功も持ちつ持たれつの精神でやっているし、これからもそういう気持ちで続けていきたい。

3.11に思う

うちの近くの一本松。

うちの近くの一本松。

あの3.11から3年。私の中では「もう」と思うけれど被災した方達はどうだろう。「莫大な義援金はどうなってしまったのだろう」と思っていたけれど、新聞を見て唖然とした。義援金ではないが「巨額の復興予算が使い切れず、積み上がっている」と出ていたからだ。その一方で、災害公営住宅は岩手、宮城、福島でいずれも計画戸数の一割以下しかできていなくて、入居できるようになった戸数は岩手は計画の8%、宮城と福島はたったの2%。「震災関連死」は3県で2973人。又プレハブ仮設住宅に住む人は約10万人にものぼる。お金を使い切れない背景の一つが自治体のマンパワー不足、というのだからもっと驚いてしまう。就職に困っている若者がこんなにたくさんいるのに。。。

きちんとした衣食住は日本では当然の権利であり、せめて気持ちのよい住宅に落ち着けることが再起を促すと思うのだけれど、テレビで見るプレハブ住宅の狭さでは、震災関連死が増えても当然だと思う。「少しの間」我慢する所ではないのだろうか。地方は都会の便利さと引き換えに、土地でも家でも広々とした住環境があったはずだから、あれでは余計こたえるだろう。

マンパワー不足なら、問題ごとに組織を立ち上げて住民に解決策を見出してもらえばよい。そのための資金はお金を使い切れない自治体が払うべきだ。また「弱い者の味方」であるはずの党は、今が出番のはずなのだけれど。。。理論だけでは説得力がない。具体策を提言してほしい。

震災や原発の問題で感じるのは、根本的なところで「誰も責任を取る」人はいなくていいのか、ということだ。原発廃絶を訴えた菅さんは辞めざるをえなくなってしまった。それで終わり?賠償問題は裁判になるけれど、震災関連死を入れて三万人近い方が亡くなり、その何倍もの人が生活に困っていて、お金だけの問題、想定外で片付けてしまっていいのだろうか?

少なくとも原発も誰がどういう思いで進めたのか、政治家は何を考えたのか、そこら辺のところもきちんと検証し、私達も理解しないと、又とんでもない間違いを起こしてしまうだろう。福島のことは過去ではなく、これからの日本を、私達の生活を考える上で、なくてはならない事実なのだ。

みんなで夕食

母の誕生日の後(10日程前になってしまったけれど)、うちで食事をしようということになった。8人もいたのでどうなることかと思ったけれど、何とか7時頃には用意できた。前日いり鶏の煮物を作っておいたので、少しは助かったけれど何と言っても女性が(小1の従姉妹のお嬢さんも入れて)四人もいたことが大きな助けとなった。三男も珍しく手伝ってくれた。

写真不足で雪の風景。でも綺麗でしょう?

写真不足で雪の風景。でも綺麗でしょう?

前から用意していた二人分のステーキを斜めきりにして八枚にして焼く。ソースはケチャップ、ソース、白ワインを煮詰めて。チンジャオロース、生ワカメのおひたし。サラダ(レタス、トマト、きゅうり、水菜)黒ゴマドレッシングで。牛蒡と豚バラと卵のスープ。これに煮物があってかなりの量ができた。ワイワイと楽しい時間だった。料理好きな母がいないことが本当に残念だったが、母が集めてくれたようなもので、母に感謝しながらの集まりだった。

それにしてもやはりこういう時の女性パワーは頼もしい。小学校1年生ながら、自分でできることを要領よくこなすKちゃん。積極的に手伝ってくれた従姉妹、場に溶け込んで手をせっせと動かしてくれた嫁のSさん。楽しい時間を一緒に過ごせて幸せでした。明日からの活力です。

母の誕生日

母が84歳の誕生日を迎えた。今年は年女です。施設に総勢8人でお祝いに行き、Happy  Birthday を歌ったり、姪の娘が弾くヴァイオリンを聞いたり、母と一緒にプリンやお菓子を食べてお茶したり、写真を撮ったりしてなかなか楽しい時間を過ごした。

母は医療者関係の予想と違って、少しずつ少しずつではあるが良くなっていて、麻痺していない左の手でご飯を上手に食べるようになったし、長男のお嫁さんはなかなか覚えられないだろう、と思ったのに会うとすぐわかり、嬉しそうに笑う。一時は30キロ台に減った体重は今は41キロある。私ももう母から「お父様」と呼ばれる心配もない。

うちの近くも随分変わった。

うちの近くも随分変わった。

すっかり施設に慣れて居心地もいいのだろう。規則正しい食事、生活、いつも一定の温度と湿度。煩雑な家事、気を使う人間関係、色々な心配事、全て解放されて(そのうちの何%かは私が負担していると思うけれど)意外と幸せなのかもしれない。もうすぐひ孫も生まれるし。存分に長生きして、人生始めての気楽な生活を楽しんでください。