月別アーカイブ: 2013年7月

河口湖(その1)

先週の金、土は河口湖にいた。土曜日にイルカwithフレンズというコンサートがあったのでそれに参加するためだった。イルカさんはIUCN(国際自然保護連合)の親善大使でもある。IUCNの目的は「自然を尊び、保全する公平な社会」を目指し、その目標は生物多様性の存続と健全な生態系である。

山が無残に開発されたり、海が色々と汚染される中で、そこにいる生き物達が追い詰められた挙句、絶滅することが近年激しくなってきた。幼い頃自然と遊んだ私は、そういうことを見聞きする度に、自分が損なわれていくような、いたたまれない気分になる。

まだ紫陽花が元気な河口湖

まだ紫陽花が元気な河口湖

だからできることとして、この様なコンサートに参加して、少額だが寄付することにしている。豊かな自然さえあれば子供達はいくらでも遊べるし、健全に成長できるのにと思う。自然を壊し、他の生物の生きる道を絶つような行為は結局人間の首をも締めていないだろうか。

「経済」と「効率」が優先する現代、自然保護の立場が弱いことはとても悲しい。コンサートの様子は又明日。

ある天啓

7月25日に中野区新井薬師の御前様のお葬儀が行われた。亡くなった頃から(6月23日)生前のご苦労のお話がたくさん聞こえてきた。私はただ「ああ、御前様でもさばききれないことが、おありだったんだ。」としか思っていなかった。

御前様、夕方の富士山です。綺麗でした。

御前様、夕方の富士山です。綺麗でした。

お葬儀の日、中野ブロードウェイを歩いていて天啓のようにあることがひらめいた。御前様は常に人からの相談ばかり受けていて、ご自分の問題など話されたことはなかった。でも御前様も人の子なので、誰かに相談したい事もそういう時もあったに違いない。私も含めて御前様を「頼る人、相談する人」に決めてしまっていた。

中学2年の時から40年以上親しくさせて頂いた。若い時や子育てで忙しい時はともかく、少し落ち着いてから今度は私が何らかの力になることはできなかったのか。お藥師堂に着く間、後悔とも悲しみともつかない感情に襲われた。

藥師堂に着いてから、ああ、御前様はこのことを理解して欲しいと思われていたのではないか、と気がついた。御葬儀に間に合った。お焼香の時に思いを込めて、今までの御前様の無私の奉仕に感謝し、自分が頼り切ったことに御礼を述べ何もできなかったことに謝罪もした。いいお別れをさせて頂いた。        合掌

回復傾向の母

母の回復が著しい。分る言葉が増えてきた。御前様のご逝去を含め、色々なことを報告すると、ふ~んという顔をする。下手な歌を歌ってあげると嬉しそうににこにこする。まだまだ何を言っているのだかよく理解できないが、何となくコミュニケーション出来ているようで幸せになる。

歩いた先が闇ではなく、光でありますように。

歩いた先が闇ではなく、光でありますように。

母も私との時間が楽しい、と感じてくれている様で、しばらく行かないと多分それを怒ってだろうけれど、この前は泣かれた。でも、ちゃんと記憶もしっかりしている、とほっとする。時々、うちに連れて帰りたい衝動にかられる。でも温度、湿度の管理、食事、風呂、排泄の介護と考えると無理だなーと思ってしまう。

倒れた直後は、母の様になったら一切の延命措置は止めてもらおう、と決めていた。でもこれだけ回復して一時でも幸せな時間が持てるなら、頑張ってもいいか、だけれど息子達は今よりも大変さが予想される将来、自分達が生きるのに精一杯で親どころではないだろう、と揺れる胸の内だった。

二日前と同題(その3)

もう、先週のこと、午前中に事業主向けの営業の人から電話が何回かかかってきて、少しいらいらしていた。(電話帳にKIRAKUを載せてから、よくかかってくる。)夕方も外出の用意をしていると携帯がなった。見ると「非通知」。アメリカの姉からのこともあるのでとにかく出た。「日本のブリーフさんですか?」と言われ、咄嗟に下着の会社にかけ間違えたのだろう、と思い、「いいえ、違います。」ときっぱりと言った。「え?日本のブリーフさんじゃないんですか?」と又言うので、変態かも!!!と思い、きつい調子で「違います!」と言い電話を切った。又すぐかかってきたので、取らないで切った。

夏の風物詩

夏の風物詩

一分程して、又かかってきた。ところが今度は「非通知」の画面が何だか意味ありげに見えた。よし、対決してやろう、と思って「はい、もしもし」と、取ると「日本のブリーフさんじゃないですか?こちら○○という番組の○○ですが」と言われ、始めて、ラジオネームを「日本のブリーズ(breeze・そよ風)」で投稿していたことを思い出した。「わっ、すみません。日本のブリーフに聞こえたものですから。」と慌てて言い訳をすると、「いたずら電話だと思ったのですね。」「あっ、はい、そうです。」そこで、スタジオの大爆笑が聞こえた。「自分でも間違いやすい名前をつけたのはあなたですよね。」と言われ、「あー、はい、そうです。」と言うと、又大爆笑。その後の会話は(その1)と(その2)に書いた。

前に投稿して、何となく先々週と先週はかかってきそうな気がして気をつけていたのだが、その日は出かける直前で全く意識に無かった。しかも先月から体格のいい三男に「パンツ買っておいて。」を言われ、気になっていたので、ブリーフと聞こえた途端、デカパンをイメージしてしまった。大失敗の後の会話、放送されるのかしら。とりあえずっこの前の放送ではなかった。

でも私にとって大事なことは、お話して頂いたこと、と仕事に対するアドヴァイスを頂き、励まされたこと。これ以上望むのは「控」だろう。余分な時間も含めて、大切な時間を私のために割いて下さったことに感謝して、御礼を申し上げたい。              ,

 なお、ラジオネームは「日本のブリーズ」から「着物美人、かも」に改めることにした。

昨日と同題・その2

「これから仕事をしていく上で多分色々なことがあるでしょうから、気持ちの切り替えが上手でなければならない、と思っていました。advice有難うございました。」と言ったら、「評判とか噂は関係ない。全ては自分の心の中のこと。自分で、誠実に仕事をしている、自分が納得できる仕事ができている、と思えればそれでよろしい。成果を追い求めることをしなければ、あなたは輝きますよ。」とおっしゃってくださった。(書いたわけではないので全くそのままという訳ではない)

浄化されて気分は白い花

浄化されて気分は白い花

勿論、気功の仕事をしていることなど言っていないのに、まるで見透かした様なお答え。いつかface to faceで質問した時も「成果主義に陥らないように」と言われたことがあったので、矛盾なく一致した。感激して「今頂いたお言葉を胸に頑張ります。」と締めくくった。気功は宗教と無関係なことを前提としているが、今日ばかりは大いなるものと話をさせていただいた気分だった。と綺麗に終わればいいのだがそうは問屋がおろさなくて、やってしまった話は又明日。               (to be continued)

 

天にも昇る心地とやってしまった話・その1

二日前のこと。「天にも昇る心地」になるような嬉しいことがあった。若いのに偉いなー、気功の次の段階の師になるかもしれない、と崇敬している方がいる。その方の講座にもできるだけ参加している。ラジオpersonalityもしているので、時々質問を投稿していた。そうしたら、な、なんと本人からお電話を頂いたのです。

青い花は夏に涼しい

青い花は夏に涼しい

私の質問は、「何かあった時それを引きずって、次のことに支障があることがあります。切り替えがお上手なようですが、どの様に思考しているんでしょうか。」というようなものだった。答えは「物事の真(一番大事なこと)、添(次に考えるべきこと)、控(考えてもしょうがないこと)を常に意識して瞬時に真を優先し、それに集中すること」というお返事だった。「わかりました。それが込めるということなんですね。」と申し上げたら、「ああ、そうです。」という会話をして頂いた。仕事についても励まして頂いた話は又明日。(To be continued)

 

二つの意思疎通

最寄りの駅前の着物屋さんに立ち寄った時、子供の浴衣があまりに可愛くて、従姉妹の子供にと、ほとんど衝動買いしてしまった。で、買った後、同年代の親戚の子がいるので、既に持っている可能性がある、とか一人っ子なので祖母に買ってもらったかな、無駄だったかもと少し悩んでしまった。帰って電話すると、「欲しくて捜していたけれど、いいのが見つからなかったので買わなかった。凄く嬉しい」という返事。ほっとしたと同時に良く考えたら、「子供の浴衣が欲しい。」と発した念を私が受けてしまったのかも、と思った。買った浴衣は親子で、とても喜んでくれて、happy the endでした。

今日は哀悼のカンナ

今日は哀悼のカンナ

今日、大きめなスーツを息子さんに着て頂けないか、と友達に電話した。忙しくて5月の息子さんの演奏会以来会ってなかった。なんか様子がおかしい。「あのね、今日うちの主人の49日なの。言うの遅くなってごめんなさいね。内々でお葬式したから。」と彼女は突然言った。驚いた。息子さんの演奏会には必ずヴィデオを撮っていたやさしそうなご主人だった。まだ63才。夕方だったけれど、49日に電話したのも偶然ではない、とすぐ飛んでいった。「私のこと思っていてくれるから、こういう日にちゃんと来てくれるんだ。」と彼女は言ったけれど、私は奥様を心配したご主人が私に電話をかけさせた様な気がしてならない。ご苦労の多い人生だったと伺っている。どうぞ安らかにお眠り下さい。    合掌

強い女性

光るカンナの花。マララ・ユスフザイさんのよう。

光るカンナの花。マララ・ユスフザイさんのよう。

暴力に屈しない女性は文句無く強い、と思う。一般的には相手をねじ伏せる力が勝ると”強い”と言われている。男性は大体この論理に従っているが、パキスタンで武装勢力に頭を撃たれたマララ・ユスフザイさんは本当の強さとは何か、を身を持って、そして心で示してくれた。暴力に遭ってもその信念や言葉を変えない。それどころか「彼らを憎んではいません」と言い切った。

彼女の強さは「再び命を脅かされるかもしれない」という懸念よりも、信念の方を優先させたところだ。将来に対する漠然とした不安から、又は経済的理由で、自分を見失ってはいないか、信念を曲げてはいないか。16才の少女から自分のあり方に対する反省を迫られた。

福島の汚染水

ちょっとした集まりがあり、そこで講師の方が福島汚染水のことに言及された。「皆さん、もう関心が薄れたり、感覚が麻痺して『濃度が100倍』と言われても何も感じなくなっている、ということはないでしょうね。」と。正直、ドキッとした。新聞でさっと読んだが、事態はあまり良くないという感想だけでそれ以上、考えることもしなかったからだ。

暑い時には海の生き物(そろそろネタ切れ)

暑い時には海の生き物(そろそろネタ切れ)

帰宅して記事を読み直した。「2号機の海側にある井戸の地下水から国の基準の180~240倍の放射性セシウムが検出され、この4日間で100倍も上昇している」ということだった。恐いのはこれが海へも流れ出ている可能性が高いこと。東電は全てに「何でもないこと」のように言うが、余計不安が高まってしまう。福島のことを思うことは、こういう一つ一つのことにきちんと関心を持っていくこと、と反省した。

“もったいない”からどうするか?

暑い時にはシャチに乗る人

暑い時にはシャチに乗る人

「もったいない」と思った時、それからどうするかは考えなければいけない。一昔前なら(私は)「捨てるのはもったいない」から取っておいた。最近は「使わないのはもったいない」から使って下さる方に差し上げるか、使うことを考えよう、という具合になってきた。物の立場(というものがあるとしたら)その方が正解な様な気がする。

とは言うものの捨てられないものが多いこと。又不思議に出した物が入ってくることが多い。古着をバザーに出したら古着が、野菜を差し上げたら野菜がその日のうちに入ってきて、「うちにある総量は一定なのか」と思ったこともあった。

もし全て無くなってしまったら、自分が持っていた何を思い出せるだろう。多分、あまり多くは思い浮かばないだろう。思い出せる少数のもの以外は本当は要らない物なのだと思う。