月別アーカイブ: 2013年4月

芸術の春

帰京の日は梅林で有名な広大な公園に行った。そこに中山晋平が暮らした家が移築してあり、中に入って音楽家としてのこだわりを持った建築を見ることができた。彼は「シャボン玉」や「砂山」「肩たたき」「背くらべ」等、日本の童謡を沢山作曲している。もう一つは澤田政廣美術館。特に彼なりの現代的仏像が好きだった。彫刻では色はあまり重視されないが、「天人」はとても綺麗なピンクだったし、「蓮華」という仏像の色の使い方も上品だった。

中山晋平の家の中。日本家屋の良き時代

中山晋平の家の中。日本家屋の良き時代

ちょっと贅沢な昼食をとった後(うちにしては)駅の近くの池田満寿夫 佐藤陽子 創作の家に向かった。池田満寿夫夫妻が死ぬまで15年住んでいた家で、芸術家らしい意匠に満ちた家だった。videoを居間で見ることができたが、佐藤さんが池田からのlove lettersなどを見せながら愛の日々を延々と語る内容で、芸術への思いを聞くことができるのかと思っていた私は多少ずっこけたが、いわゆる不倫恋愛も正々堂々としていれば成就するのだな、純粋さが鍵かな、と妙に納得した。期待してなかった割には充実した旅だった。(To be continued)

熱海へ小旅行

貫禄の大楠

貫禄の大楠

家族と熱海へ一泊の小旅行に出かけた。とにかく二日間天気が良くて、新緑が綺麗で気持ちよかった。来宮神社(きのみやじんじゃ)の大楠は二千年経っていると言われ、ある方面から手をかざすと気がびんびんと伝わってきた。一周すると願い事が叶うそうで、「お金持ちになりますように」などと祈らないで、「私の気功が皆様の役にたちますように」と祈る偉い私でした。(どや顔)

でもここからが面白くて、ホテルで息子が「アバター見てないのか」とDVDを借りてきてくれて夢中で見てしまった。なんだ、アメリカは自分達がしていることがわかっているではないか、という映画だった。でも今考えてみると「天空の城ラピュタ」「Road of The Ring」と重なる部分が多分にあった。罪人が「もう弱りきっている」地球に帰らされる場面は笑ってしまった。

12時(夜中)にもう少し新聞が読みたくて下に降りて行ったら小学生が一人で卓球台にいて玉を突いていたので、思わず「少しだけね」と言って相手をしてしまった。羽根突きみたいに玉を上げてしまうので、「違うよ、横からかぶせる様にして打つの」と教えたらどんどん上手くなり、子供はすごいな、と感心したが20分程で夜中であったことを思い出して慌ててやめた。朝、うちの者から「大馬鹿者だ」と言われた。To be continued.

 

素晴らしい公演二つ

今日は午後から、素晴らしい公演を二つも見ることができた。一つはダウン症という個性を持ったリコーダー奏者の荒川知子さんとご家族のアンサンブル。第二部はフルート奏者のお兄さまとピアノのオリジナル曲を中心としたコンサート。どちらも美しい心がそのまま伝わってくるような演奏で、一時ざわついた世間を忘れた。第一部の「二羽の鳥、とびながら話している」は兄弟の演奏で息もピッタリで、お兄様が妹に「上手くなったね。」と声をかけられていたのがとても微笑ましかった。

CIMG0451夜はドリアン助川さんの「ブカレスト プノンペン チェルノブイリ フクシマ!」というタイトルでピクルス田村さんという若い青年と3時間近くぶっ通しで、リアルな写真を見せながら朗読と歌で語りかけてくれた。朝日新聞の人生相談で有名な方で、自作の詩も朗読も一つ一つ説得力があり、チェルノブイリ以外は自分で回っているので「現場の空気」をよく伝えてくれた。ある程度知っている、と思っていたのにそれが表面的であることがよくわかり、ライブの迫力と相まって衝撃的な感動だった。かなり深刻なテーマだったのに気持ちが暗くなることもなく、「現実」として受け止められたのは少し不思議な体験でもあった。

着物で琴コンサートへ

うちに気功ヒーリングにみえている、千川にある病院の元医院長の琴コンサートに招待して頂いて、友達と行ってきた。最近 my boom の紫の江戸小紋に、水芭蕉と私の名前が巧みに入っている帯を合わせた。水芭蕉に紫が入っているので、着物と色彩的にとても合っている。(自帯自賛)

赤、白、黄色にピンクに水色のチューリップ

赤、白、黄色にピンクに水色のチューリップ

行くのは久し振りの琴コンサートだった。招待して下さった方は、琴と共に意外と伸びやかな声で詠い(うたい)印象的だった。主催している先生の琴の音はいつものことながら、はっきりと力強く響いた。古曲だとよく知らないので眠くなりがちだが、凛々と響いて心を揺さぶるものがあった。急に声をかけても、嫌な顔一つせずに付き合ってくれる友達にも感謝して帰路についた。

又、お会うね

よく頑張ったね、八年間も。その間も人に対する優しさ忘れなかった。それってなかなかできないよ。私が小学校PTAの代表している時も、一生懸命フォローしてくれて有難う。妬みも嫉みも持たない純朴な魂の持ち主で、貴重な貴重な友でした。奄美大島出身で裏表なく、それでいてはっとさせられるpoint突いたことおっしゃって、あなたとの会話は本当に楽しかった。

あなたの分まで生きるとは言いません。だってあなたはあなたの生を生ききったから。三人のお子さん、素直で立派に育ちましたね。お母さんに対する思い、痛い程伝わってきました。子育ては大変な仕事。いいお仕事なさいました。

幸い私は向こうの世界の存在を信じるものです。だからあなたはこの世から去っても、向こうの世界に行っただけ。私も懸命に生き、胸をはっていずれそちらにいきます。そしたら必ず会いましょう。会ってこちらでした様に、楽しい話や世間話に花を咲かせましょう。又会う日まで、大事な友達。

国立の気功教室

今日は本当の国立の第一回目。風邪や急用で欠席の方が二人いて、六人でのスタートとなった。教室で教えていると終わった後、凄く自分も元気になっていることがわかる。Yさんも「気功をした後はなんかすっきりして、頭が冴えているんだよね」というようなことをおっしゃっていた。膝が軽くなった方がいて、皆さんと喜びあうことができた。

華麗な盆栽

華麗な盆栽

気功と気功教室をしていてよかった、と思う。この年で自分で何かを作って進めていくというのは大変だけれど、ある年からもう勤めることは無理だと思って自分ができることを手放さずにきた。気功教室では気を確かめながら、皆さんと気の空間を作り上げていく楽しさがある。KIRAKUの気功師になってくださる方が沢山でて、一緒にいい仕事をしていくのが夢でもあり目標だ。

突然の訃報

大事な友達が今日明け方亡くなっていたことが午後わかりました。富士でその方に「私の心はいつもあなたに寄り添っています。」とお手紙書いてお土産も買い、送ろうとして(近所だから持っていこう)と思い直して、今日持っていって知りました。ぼう然とする私に、お嬢さんが「母は冨田さんに会いたかったから呼んだのですね」と言われました。

「私のためだけにピアノを弾いてほしい。『エリーゼのために』を。それから『月の砂漠』も歌って。」と言われ三年前のクリスマスの日にお嬢さんと来て頂きました。ささやかな音楽会を開き、お茶を飲んだりケーキも食べて「嬉しかった。又やって」と言われたのにそのままになってしまいました。ごめんね。ピアノを弾く時は「この曲はあなたのためだけに弾くから聞いていてね。」と時々言いますね。私もいずれ逝くわけだから、又そちらで会いましょう。よく頑張って生きてこられました。安らかにお眠りください。  合掌。

富士へ

一泊二日で富士へ(富士山ではない)行ってきた。午後用事があったのでどう考えても日帰りができたのに、富士山の近くにいたくて一泊した。けれど心掛けが悪かったのか二日とも7合目位から下しか姿を見せてくれなかった。でも午前中、富士市立博物館と歴史民俗博物館、屋外の移築した建物や古墳を見ることができ、新緑の中広い敷地を歩き回れたのはそれなりに楽しかった。

今年は色々な花が一度に咲いた

今年は色々な花が一度に咲いた

午後は講演会に出席した。気功とも関係あるもので、私の中では楽しみというより仕事の一つなのだが、家族は「一人で遊んできた」という雰囲気。気功が世間で本当の理解がえられるのは遥か先と感じているけれど、家族が気功を私の仕事として認めるのはそれよりもっと先だろう、と覚悟した。主婦はこうあるべき、という思い込みは恐ろしい。そういう枠にはまることが出来ない私を見ている家族も、結構しんどいかもしれない。

幸せを感じる時

結婚してからずーっと忙しい人と思われていたので意外かもしれないけれど、実は若い時から、もう今日は眠ることができる、或いは昼間でもちょっと横になれると思える瞬間は幸せを感じた。充実した日でもあまり活動しなかった日でも、いつも眠る前は嬉しかった。この前「睡眠欲」という言葉をみつけて驚いた。自分で、眠ることに幸せを感じるなんて何て金のかからない女なんだろう、と思っていたけれど、ひょっとしたら睡眠にたいして強欲なのかしら。

春の公園

春の公園

だから子育ての時期に、子供、特に長男が夜寝かせてくれなかった時と更年期障害のせいで不眠症になりかかった時は苦しかった。人間は死ぬのが恐いのに意識がなくなる睡眠は怖くなくて、眠れないことの方に恐怖を感じるんだなと思ったりした。眠れないと生活のリズムが狂ってくるが、そこを我慢して定期的に運動をこなすようにしたら、いつの間にかまた眠れるようになった。勿論、幸せを感じる時は他にも沢山ある。今日はその第1弾です。

気功に関するお金の話

ヒーリングもクラスの費用も「随分安いですね」とよく言われます。安く設定したから安いのですが、それは自信のなさからそのようにしたのではありません。一つはカネ、カネ、カネの時代にchallenge(挑戦)しようと思ったから、もう一つはこれで「手に職」[気功は手で行うものなので文字通り手に職です(#^.^#)]がある人を増やしたいと思ったからです。いずれは生活困難者の方にも教えていきたいし、気功ヒーリングを試してみたい、病を抱えている方にも低料金で施行していきたいです。

もう咲いた、チューリップ

もう咲いた、チューリップ

中にはこれを職業にしたい、と思う人も出てくるかもしれません。人のための職業、というポイントを押さえていれば自分で価格を設定してもいいでしょう。ただその動機だけは決して間違えてほしくないので、できたら副業、もしくは経済的に余裕がある時にした方が、いいヒーリングができると思います。私は20年で積み上げた自分の技術を皆様に公開してます。技術のノウハウを受け取った方達も、何か発見したら自分だけのものにしないで公開し競争ではなくて切磋琢磨していければ、と願います。