月別アーカイブ: 2013年3月

近況報告

ヨレヨレになった次の日が気功教室、一日おいてお墓参りをかねて父と長男と豊橋へ。二泊三日だったが寒くてなかなか眠れないほどだった。最近、春は寒暖の差が激しい。母は去年の今頃倒れた。思うのだけど、一箇所に永久に住もうと思ってうちを建てるより日本、いや世界もみて住む所が何箇所かある方がriskが小さいような気がする。

今年の桜の花の色は薄いという噂も。でも綺麗。

今年の桜の花の色は薄いという噂も。でも綺麗。

今は第一次産業が減り、親の職業を子どもが受け継ぐのは困難な時代。親だっていつ転職するかわからない。たか~いお金を払って家を買うより(子どもが小さいうちはいいけれど)どのように家を使うのかもっと考えて住む場所を選べば人生もっと軽やかになるのではないだろうか、と食あたりで脳みそまで軽くなってしまったかもしれない頭で考えた。

ヘロヘロ、ヨレヨレ

21日に何か体が重いなと思っていたら、22日夕方から食あたりの症状が出た。23日は昭島での気功教室があるので、困ったことになったと思った。夜中じゅうトイレに通い(汚い話でごめんなさい)上と下からほとんど全てのものを出し切って、さっぱりしたものの、丸一日何も食べてないのと睡眠不足で朝はヨレヨレ、ヘロヘロ。

春爛漫

春爛漫

余程止めようかと思ったけれど周りの方の方がやる気満々なので、何とかしようと思い、とにかく太陽からエネルギーを補給。クラスの前の打ち合わせはキャンセルしてクラスを行なった。不思議とやっている間に元気になって、クラス後にレストランで行なったミーティングも出席できた。送り迎えして下さったYさんに感謝です。又いない間に庭木の剪定をして下さったご近所のご主人様にも感謝。横になっている間、このところ少したるんでいた、食のとり方もまずかったと反省。意外と有意義な二日間でした。

 

良い教育とは?

今日の新聞に「所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向」を「やむをえない」と答えた人が半数を上回った(52.8%)とあり、考えこんでしまった。お金をかければ得られる良い教育とは高い塾、有名私立、お稽古事かな。確かに得られるものは多いだろう。もし芸術系に才能があれば、お金をつぎ込んで才能を開花させるのも悪くない。

春、間近

春、間近

でも教育の目的が、子どもが精神的に自立して、社会に適応し、個性に応じた活躍ができるようにすることだということを思い出せば、まず人格形成、それにコミュニケーション能力が大切な要素ということがわかる。これはお金をかければ得られるものではないし、お金がなければ出来ないということでもない。案外ここら辺に教育の「希望」があるのかもしれない。

英語・日本語(その1)

又ロンドンに行きたいのと、いつか日本を離れることになるかもしれない時のために(多分ない)英語を勉強している。最近は和製英語が本当にその通りかに興味を持っている。昨日はwonderful(ワンダフル)とgorgeous(ゴージャス)について、こんなに日本語のニュアンスと違うんだということが分かった。

春はまだ浅い

春はまだ浅い

wonderfulは素晴らしかったら何にでも使えると思っていたけれど、英語では不思議なとか、想像できなかったけれど実際に起こっている、という意味を含む。例えばa wonderful experienceは不思議な経験。magic show(手品)を見てWonderful! は使い方としては正しい。gorgeousは英語ではお金をかけているというイメージはない。むしろ人柄について言う言葉!!(知らなかった)She is gorgeousと言うと最高級の褒め言葉で、とても美しいと訳すが表面だけではなく内面も含んでいるようだ。全く知らない英語より知ったつもりになっている英語に気をつけなければ、とつくづく思う。

 

チャイコフスキー

高校生の頃からクラシックで一番好きな曲は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番変ロ短調だった。長じて、何回も聞きすぎたのとあまりにもpopularな曲であることに気がついて少し距離ができた。

尻尾も使って体を安定させる賢いアシカ

尻尾も使って体を安定させる賢いアシカ

好きだったのに、チャイコフスキーをピアノで弾いたことはなかった。何か新しい曲を弾くことになり、うちにあった「四季」からAugust(八月)の曲である La Moisson(とり入れ)を選んで弾いている。楽譜としては難しくないがまだ譜読みの状態。でも弾いているとチャイコフスキーだなー、と思う。クラシックで有名な音楽家は、はっきりと色、強い個性を持っていた。今は音楽を聞いてこの人の、とわかる音楽家、何人いるかな。文章では、誰とわかる人は何人かいる。

私と自然

よく言われることだが、多くの国が自然を「征服すべきもの」とらえる中、日本人は自然の中に神を感じ、敬い共生していく方法をとってきた。幼い頃は中国山脈のなだらかな山で遊び、瀬戸内海の海の幸を堪能し海水浴を楽しんだ。春夏秋冬を当たり前のように体験し感じてきた。季節は体全体で感じるもので、特に空気が運んでくる匂いや植物や動物の気配も印象的だった。

いつからだろう、季節を温度でしか捉えられなくなってしまったのは。確かに梅、桜、朝顔、ひまわり、公園の広大なポピー、コスモス、虫の声が季節を伝えてくれるが、春になってもあの大地の喜びの様なふくよかな春風は感じない。秋になってもあの厳しくて透徹した大気はない。ただの感傷だろうか。平和を絵にしたような、あの頃の日本の自然にもう一度抱かれてみたい。

街の夕暮れ。賑やかだけれど、どこか寂しい。

街の夕暮れ。賑やかだけれど、どこか寂しい。

 

久し振り、今日の夕食

久し振りに父と母がいる施設で会い、帰りは車で送って、実家で夕食を食べることにした。帰りはレストランに寄ってすませることもあるが、春は出費が多いので節約の意味もある。それに自分で作った方が美味しい。

ラッパも吹ける頭の良さ

ラッパも吹ける頭の良さ

今日はお肉が好きな父のためにビーフシチューをメインに、新聞にのっていたコリアン家庭料理のチャプチェ、ほうれん草のおひたし、わかめと卵のスープ、それにサラダを出そうとしたら「もう要らない」と言われたので以上。ビーフシチューは市販のルーを使うけれど材料を油でさっと炒めてから水をいれ、灰汁をとってから白ワインと酒、黒酢でしばらく煮込むので深い味わいになる。(自慢)出来上がってソースとケチャップで味を調整する。甘めが好きな父のために玉ねぎは中4こ使った。おいしくて母の所で疲れたけれど、みんな機嫌が良くなった。(ドヤ顔)

 

花粉症対策

夕方親しくしている着物屋さんに寄ったら、紹介した漢方薬が良く効いたと感謝されたので、ここにも書いておこうと思う。「八仙丸」という。中国では60過ぎたら皆飲み始める程popularな(人気がある)商品だという。副作用もなく効能も「疲労回復」とまず謳っているがこれが何故か花粉症に効く。もう一つは「衛益顆粒」。これも特別花粉症に効くとは書いていないが、私はこの季節には手放せない。勿論人による。

カラーの美しさは神様のお楽しみとしか思えない。

カラーの美しさは神様のお楽しみとしか思えない。

目が痒い時には、ぬるめのシャワーで目を洗うと痒みが治まる。手の中の水で目をパチパチしてもあまり効果なかったけれど、シャワーを使ってしばらく洗うと明らかに違った。気功も本当は効く。花粉が「非常に多い」、つまりレベル最高の日に外出する前、気合を入れて気功の呼吸法をするとあ~ら不思議、全く症状が出ない。でも慌てて出ることが多いので、帰ってから大変なことになる。言わば自業自得です。

 

 

子供の成長

友達のお子さんに久し振りに会った。とても成長していて驚かされた。あちこち動き回る、とお母様が嘆かれていたが感受性がとても鋭い。学校でちょっと辛い目にあった様で「おばさんはいつも君の味方だからね。」と言うとそれまでの態度が一変。一緒に行った水族館で何とか私に親切にしようと心を砕いてくれる。ああ、成長したなと嬉しくなり、ここまできちんと育てられたお母様も偉い、と思った。尊敬している方と二回も握手出来たし水族館の生き物達も元気だったし、その後会いに行った母も機嫌が良かったし、本当にいい一日だった。

池袋・サンシャイン国際水族館にて

池袋・サンシャイン国際水族館にて

強風で電車が遅れ本当は握手出来ないはずだったのに、がっかりしていたら突然声をかけられ「私はいいから。」と握手券を頂いた。前に同じテーブルに座ったようで有難いことに私を覚えていて下さった。更に驚いたことに、その方が遠く愛知県豊川の私の従姉弟家族の子供の保育を担当していたことも判明。色々な方に感謝、感心することができた「ご褒美の日」のような一日だった。花粉症を言い訳にたるんでいたこの頃なので、ちょっと面映ゆい。

 

 

 

「死」に対する考え方

昔から「面白い人」と言われてきたが、自分ではどういう風に面白いのだかよくわからない。ただ自分でも変わっているかな、と思ったのは幼稚園くらいの時に「死ぬということは自分が全てなくなってしまうことなんだな、なんて怖いことなんだろう。こう考えている自分もなくなってしまうんだ」と寝る前に必ず思ったことだ。

梅一輪一輪ほどの暖かさ

梅一輪一輪ほどの暖かさ

ところがここ五年くらいのこどだけれど「魂は不滅」という考えが思考に定着してから「死」に対する考えはがらりと変わった。いつか訪れるもの、でも「私」が全てなくなるわけではないと冷静に思えるようになってきた。でもまだ自分自身に対しての話。震災で身内を亡くした遺族の方の記事を読むと、どんなに辛かっただろうと涙してしまう。やはり現世にいる者にとってあの世は遠い。でも信じている。犠牲になった方たちの遺された者への魂の応援を。