Monthly Archives: December 2012

大阪風お好み焼き

先日大阪に行った時仕入れたお好み焼きの材料があったので、今日使ってみた。変わっているのは、材料(粉、豚肉、イカ、キャベツ、卵、ネギ、をうちは入れる)の他、お菓子の「たこべえ」を入れること。この「たこべえ」は「青のり、紅しょうが、けずりぶし入りで秘伝ソースが決めて!ピチピチ生タコを使用しています。」という、とても真面目なお菓子なのです。見た目はスナックを厚くしたような感じ。B級グルメ的雰囲気が無きにしも非ずだったが、勇気を出して作ってみた。

夜の街

夜の街とモノレール

味が濃厚でかなり美味しい。「お菓子」が入っているとはとても思えない。大阪の知恵だな、と感心した。姉がアメリカにいることもあり、海外に何回か行ったけれど、日本ほど美味しいものが沢山ある国はどこにもなかった。帰国して日本食(和食だけではなく)にありついた時のほっとした感は私だけではない、と思うのだけれど、どうでしょうか?

 

 

気分はクリスマス?

街に出る用事があったので、立川に行った。もう、クリスマス一色。煌びやかな電飾はいつ見てもワクワクする。ほとんどLEDなので電気代はそんなにかかっていないんだろうな、と節電に励んでいる私は思う。ずっと前のことだけれどイギリス人が「これはChristmasではない。どこにもChrist 誕生の喜びが感じられない。もっとしみじみと素朴に厩(うまや)で生まれたキリストをそのように祝うべきだ。」と言っていた。耳が痛いがまさにこれが日本風クリスマス。今年は楽しい気分にとてもなれないけれど、写真が沢山撮れてそれが嬉しかった。故に写真は当分クリスマスの風景です。

show window

カバン屋のShow Window

色々なこと(2)

母のところに行ったら、クリーニングを取りに来てくれたお兄さんに凄い態度。昔の悪名高い中国の王女を見ているような気分になった。「御免なさいね。」と言ったら「いつもこんなですよ。」と言われ余計悲しくなった。誰にでもやさしく気を遣っていた母はどこに行ってしまったのか。病気のせい、とわかっていても割り切れない思い。こういうのを「せつない」というのだろう。母を見る度に、やりたいことどんどんやって、すっぱり逝きたいと思ってしまう。「人生の目的は成功することではなく、人生を生き抜くことです。」という言葉を信じて、ひたすら生き抜こうと思う。母も生きることを頑張っているのかもしれない。

kawa

日本に未来はある、と思いたい

早くしなくてはと思いながら先延ばしにしていた固定ページの「気功とは何か」と「What’s New」を新しくしたから見てくださいね。

好きなこと

まず、旅行が好きだ。家にいるとどうしても主婦の仕事がたくさんある。主婦の仕事をしなくても、意識は主婦から抜け出せない。求められる役割も主婦。ピアノを弾いていても、ピンポーンと鳴れば出ないわけにはいかない。電話も然り。外からの呼びかけがなくても午後になると、冷凍になっているお肉を解凍しておかなければ、とか洗濯物は乾いたかしら、と色々気になる。

クリスマス1

和菓子屋のshow windowから

旅行に出ると全てを忘れる。(今は母のことが気になるけれど)主婦という役割から開放され、ただの旅人となる。登山かスキーができれば最高。けれどもどういう訳か気功師の意識は常に持っている。気功師として来年、さ来年は考えられる限りの活動をしよう。やるだけやれば自分で納得もできるだろう。その後は世界中ふらふらするのが夢だ。でも多分先立つものがないだろう。三男が海外の博士課程に行くと言い出したから。(涙、涙)

清冽な大気

今日の空気は澄んでいてとても気持ちがよかった。夕方、山頂の後ろに赤い雲を従えた富士山を見る事ができた。又、こんな所からもくっきりと、はるか遠く、青々とした山脈が連なっているのが見えた。反対の空は pink からgreyへのgradationがすごく綺麗で、天の誰かが水彩画を楽しんでいるようにも思えた。

そんな空を見ていたら、「不安や暗い心があると、神からの光が届きにくい」という言葉を思い出した。今日のように、清冽とも言える大気のような心であれば、成程神々しい山々が姿を見せてくれるのだな、と妙に納得し、感激した冬の夕暮れだった。

冬の景色

公園の潔い木々達

 

12月の会話から

三男との会話。「お誕生日おめでとう。今日で何才になった?」「85才」「あら、そう。じゃあプレゼントは老眼鏡がいいかな、それとも杖?」「いや、10億でいい。」この子の親の顔がみたい。三男は今、青春真っ盛り。灯台

親の介護を経験している友達との会話。私「介護保険は使いにくい。民間の介護施設は高い。特養は100人から150人待ち。私たちの親はまだお金持っているからいいけれど、私たち世代はどうすればいいのかしらね。」友達「大丈夫よ。私たちがすっかりばあさんになる頃には政府がちゃんと、尖閣諸島に姥捨て山を用意してくれるから。」私「・・・・・・私は竹島の方がいいな。」友達「そうね。竹島の方が温かいかもね。」

 

選択の余地

人生、選択の連続。夕食のメニューという小さな選択から伴侶を選ぶという大きな選択まで色々ある。どのような選択をするかで、その人なりの人生が出来上がっていく。今度の選挙は選択の余地がたくさんある。新聞の調査で「もう決まっている」と書かれれば、しらけてしまうがせっかく与えられた選択権、しっかり行使しようと思う。

倒れた母に関する私のpressureは、母の選択権が私に移ってしまったことによるものではないだろうか。住居、衣服の生活の大切な部分を私が選び、管理している。しょうがない、と言ってしまえばそれまでだけれど、どこかで常に「これでいいのだろうか」という問いがある。選択できることは何と言っても自由の証。これからも一つ一つ悔いのない選択をしていきたい。

紅葉

紅葉もそろそろ終わり

 

 

また地震

夕方電話で話している時に又地震。最近朝になるとよく小刻みに揺れて、おかしいな、どこかの工事の振動かしら、と思っていたのだけれど。。。若い頃は、確か小さな地震が沢山あるとエネルギーが発散されて大きな地震は起きない、と習ったんだけれど。科学も万能ではない、としみじみ思う。

昭島駅から

昭島駅からの風景

外からはミサイル、中では地震。でも多くの日本人は「日常」に支えられている。「日常」を奪われた福島の避難民の方たちの心細さはどうだろう。始めは一生懸命寄付してきたが途中からこのお金はどこに行っているのだろう、という疑問が膨らみ、途中から支援をしている人たちに直接渡してきた。福島の人に有機的な農業を通じて職を持ってもらおう、という現実的なグループもあり、余程口ばかりの政治家より本質的な支援になっていると思う。

気をつけたいこと

12月に入り慌ただしくなってきた。豊橋で気功教室を助けて下さった方の喪中葉書が届いた。駅の階段から転げ落ちて打ち所が悪く、長く療養なさっていた。同じ頃、小学校以来の友達のお母様が地下鉄のエスカレーターの下りで倒れ、そのままやはり転げ落ち、頭に大怪我をし、重い後遺症が残ってしまった。いずれも降りている時で、私はこの話を聞いて恐くなり階段、特に駅では必ず手すりを何となく触りながら降りるようにしている。上がる時も真ん中は避けている。「転ばぬ先の杖、ならぬ手すり」ということだ。

夜のイチョウ

夜のイチョウ 哀悼を込めて

地べたであれば打つのが一回ですむけれど、階段だったら何度も打ちつけることになるので重症化してしまうのだろう。よく転んで寝たきりになったという話を聞く。階段だけでなく、転ぶということに気をつけなければいけない。できるだけ階段を一歩一歩、歩いて、足腰を日野原先生のように鍛えておこう。最晩年まで歩けるように。

お出かけの日

次男、三男の幼稚園時代のママ友(今は私の友達)と有楽町の三菱一号館美術館へシャルダン(18世紀のフランスで活躍)展を見に行った。日本では初めての個展でまとめて見ることができて、「静物画」はあまり面白くない、と思っていた固定観念を覆してくれた。特に果物の質感と陶器、水の入ったグラスの表現が見事。他、室内の人物像もシャルダンの人柄が出ているのだろうか。穏やかで温かい感じを受けた。「青騎士」のマルク、ルドン、セザンヌにまで影響を与えていたこともわかった。

有楽町

有楽町界隈

有楽町で勤めていたこともあり、なつかしかった。特に今日は雨もあがりからっとした良い天気で、まだ落ちない銀杏の木々も美しく、母のことなど良く話を聞いてくれる二人の友にも会えてhappyな一日でした。