Monthly Archives: November 2012

文楽のこと

たわわな実

人は浮ついているけれど実りの秋は確実に訪れる

前から大阪で機会があったら文楽を見ようと思っていたので、調べて大阪国立文楽劇場での「仮名手本忠臣蔵」の7段目から大詰めまでを見てきた。4時半から9時まで。これで5千800円。人形一体に三人がかり。あと浄瑠璃語りと三味線が不可欠。大勢のプロが必要なのです。舞台も歌舞伎となんら変わることなく豪華絢爛。話も字幕が出るので浄瑠璃がわからなくても大丈夫。しかも一段一段完結していて、とても面白い。日本人でなければわからないな、というような場面もたくさん出てくる。

こんな伝統文化も残せないような日本になったら、もはやこの国には魅力ないとまで思ってしまった。実は文楽見たのはこれで三回目。歌舞伎のほうが好きだったのだけれど、演目がある時から少なくなり料金は上がって、私には高値の花になってしまった。文楽については人形は人形、と思っていたのに、ついこちらが感情移入してしまうくらい人間的。すごい芸術だと再確認し、ストレスも悩みもふっ飛んでしまった一日だった。

明日から再び

色々とストレスが溜まり、大阪にて文楽などを見て帰って来ました。よってブログをつけることができませんでしたが、また写真と共に再開します。お休みなさい。

老後のこと

今日、母の施設と契約をしてきた。頭金を払って、5年以上いるのか、払わないで月極にして少

jousuidou

南禅寺上水道跡 琵琶湖から水を引いていた

し高く払うのか、父と相談して後者にした。決して安い額ではないけれど、予算内のようなので決めることができた。月極にしたことで、もし、母の状態が家に戻れるようになれば、すぐ戻ることができる。良心の呵責の少しの軽減。

母が実家で倒れ、救急車で運ばれ、急性期の病院からリハビリテーション病院、そしてnursing homeへと連続して移ったのでさして葛藤はなかったけれど、これが一緒に住んでいて、段々弱っていった末のことだったら、かなり悩んだだろうと思う。ある人の言葉を胸に留めよう。「介護が手に負えないと思ったら、プロに任すことも悪いことではない。でも自分も老後は同じ目に遭うことも同時に覚悟しなければならない。」今日は同時に、自分の老後の覚悟の日でもあった。

 

 

不思議な話(1)

rakugaki

落ち葉で描いた可愛い落書き お幸せに

ここ5,6年のことだけれど、ふっとこれが欲しいと思うと、思いもかけない所から手に入ることがよくある。紅茶が欲しいと思うとアメリカの姉から送ってきたり果物、と思うと近所の方が持ってきてくれたり、いつか菜箸が欲しい、と思って、でもこんな物は買わないとさすがに手に入らないと思い直したのに、次の日、保険の勧誘に来た方がご挨拶に、と菜箸を置いていってくれたのには本当にびっくりした。その話をよく家族にすると、「お金が欲しいと思え。」とか「どうでもいいけど小さい物ばかりだね。」とか言ってあまりその価値を認めてくれない。

これってどんな意味があるのかな。物を引き寄せる念力とかいうのもあるらしい。神が私が念力があることを教えてくれている。又は必要なものは与えるから思い切ってやってみろ、というサイン。それとも反対に、まだ小物しか引き寄せられないという警告、と色々考えられる。これからは仕事が軌道に乗るように、場所、人、縁とたくさんのものを引き寄せていきたい。

知らぬが仏

「知らぬが仏」とはよく言ったものだな、と思う。母も、もし自分の状態がはっきりわかったら、もっと不幸だろう。でももう今の施設に大分なじんで穏やかな顔になってきている。私を見ると「お父様」or「お母様」と言って怒ったり泣き出したりするのは変わりないけれど。今日で八日間母の所に毎日通いさすがに疲れが溜まってきた。

The colored trees

やっと紅葉が広がってきた

知らない方が幸せなのは自分の病気だけではない。今の日本の子どもたちは小さい頃からディズニーランドとかヴァーチャルなゲームに親しんで、長じても少々の刺激ではわくわくしないのではないか、と余分な心配をしてしまう。自分から進んで体験する前にもう知ってしまっているって面白くないんじゃないかな。私が小さい時は泥とか蟻、雑草の花、野良猫とかで友達と遊んでいて結構楽しかった。そう考えるとお金をかけたから幸せになるかというと、そんなことないと思う。確かにお金は必要だけれど、なくて苦労するなかにも本当の幸せが紛れ込んでいるような気がする。

 

工夫してみよう

A beautiful sunrise

千葉御宿の日の出 母が倒れる直前に一緒に旅行した

母の着る服で困っている。服に興味を持ちだしたのは喜ばしいことだが、着せるのに襟ぐりが大きいのではないといけないし、すぐ汚すので施設で洗ってもらうには洗濯機可でないと困る。本人はウールのセーターが着たいようで、ポリエステルはいやがる。暖かさがちがうのだろう。車椅子から動けないので動いて発熱する下着も効果ない。

しょうがないからウールやカシミヤのセーターばかり持っていって家で手洗いするよう持って帰って来たが、しょっちゅう汚すので膨大な量になる。自分の時間をもうこれ以上、母の為についやすこともできない。クリーニングに出してしまえば簡単だけれど、洗濯代が。。。と色々悩んでふっと閃いた。スキーウェアーによく噴射していた防水剤、あれを前だけつけてみればどうか?家に帰って説明を読むと服、着物にもok。食事がまだゼリー状なので、これでよごれも拭き取るだけで、その度ごとに取り替える必要もなくなるだろう、と思ったら急に気が軽くなった。明日早速試してみよう。

頑張りました

The hen

谷保神社の隠れ名物

今日は朝から夜まで良く頑張った。気功ヒーリングを受けに来る方がいたので、ひっちゃかめっちゃかのうちを朝から大掃除。なんとかセーフでヒーリングを開始。大変調子悪かったけれど、気功ヒーリングを始めてから調子が良くなりゴルフを楽しまれたとか。(宣伝)

送りながら母の服を届けに施設に駆けつける。六枚もっていったけれど始めは違う、違うと言って泣き出す。セーターを出したらやっと安心した様子。プルオーバーを最初に出したのがまずかったみたい。でも終わりよければ全て良し、でほっとして帰ってきた。ピアノも少し弾けた。これからは忙しい日々を覚悟。

 

大きな反省

The sky tree

日本の将来もこのようでありますように

今日も母の服のことで走り回り、大事な時間を大分使ってしまった。移ったばっかりだからしょうがない、とは思うもののこれからは自分の中で優先順位を意識して動かなかったら、それこそ自分が倒れて動けなくなった時、あれもしたかった、これもできなかったと後悔するだろう。それは嫌だ。昔から好奇心が旺盛なせいかやりたいことだらけ。その中でも気功を社会に根付かせることはこれからの一番の仕事、と思い定めたので、これは守らなければ。

自分の中で決めていることがある。上手くいかなくても胸を張ろう。うまくいったら、傲慢にならないようにしよう、ということだ。これさえ守っていれば大きく誤ることがなかったような気がする。これまでの経験で、実は胸を張るより傲慢にならない方が難しいことがわかった。本当に強い人しか謙虚にはなれない、と感じている。

今年一番困惑したこと

少し早いけれど、今年一番困惑したことを書いておこう。困惑という面からはこれを超えることはないだろう、という確信を持っているから。それはまだ母がリハビリ病院にいた時の話。突然私に向かって「お母様、何とかかんとか(意味不明)」と言ったのだ。母が祖母に向かってこのように言ったのを聞いたことがないし、そして勿論祖母はとっくに亡くなっているので「えっ!」と思い、「お母様、なんていないでしょう。」と思わず大きな声をあげた。すると今度はもっとはっきりと「お父様」と言ったのだ。父のことを「お父様」と呼んでいたけれど、その場に父はいなかった。「私はあなたの娘です。」と言うと、はっ???という顔。姉がアメリカ在住なので実質的に動いて面倒を見られるのは私だけなので、確かに一番保護者的ではある。

しかしショックだった。認知かというとそういう訳でもなく、実にしっかりしたところもあり、夏に「お盆になったよ。」と言ったら「おあげを(仏様に)あげて」とこれは、はっきりと発語した。だから始めはふざけてるのか、と思ったくらい。でもそれ以来私=お母様orお父様は変わらず。最近はやっと慣れて、もう何でもいいや、頼りにしてくれているんだ、とあきらめた。母から無視され続けている父からも頼りにされて、ある意味幸せな娘です。

The old tools

昔の者達は味わいがあってなつかしさを感じる

昨日は紫の日

写真を入れようと思ってまた苦労した。結局、J Trimをインストールしてコマンドからリサイズ800×1200を選びデスクトップに保存、そこから引っ張って きた。これ簡単。ダウンロードできる、画像最大アップロードサイズをカスタマイズする方法もあるが時間がかかりそうだったのでパス。たいした写真で はないのが残念。しかも去年の写真です。載せる意味あるのかと言われそう。あるのです。写真よりも載せる技術を磨きたかったから。

昨日ここに「ブルーの日」と書いてしまったが本当はブループラス目出度い赤で「紫の日」。昭島でYさんのご尽力で小さいながらも気功のクラスが一つできたのです。このクラスは一回二千円で一時間半。とりあえず六回を予定。一回はサービス。クラスのサイズ、場所の大きさ、場所代でfeeは変わってしまうがそれぞれ参加者の納得できる教室にするつもりだ。息の長い活動を目指す。一つのサンプルとなるので時間をかけて入念な準備をしようと思う。