月別アーカイブ: 2012年10月

一隅を照らす

今、私にできることは「一隅を照らす」ことだと思う。この言葉は天台宗最澄の言葉で、自分の周りの人に対して自分が灯になったつもりで接し、そこだけでも明るい世界を作りなさい、というような意味だったと思う。PTA代表をしていた時、この言葉を使って卒業式のスピーチをした。保護者は感激してくれたが、うちの子供は「何言ってるんだかわからんかった。」と言っていた。

庶民にできることは一隅を照らすことだと思う。もし王様とか領主、天下人だったら全体を照らすことも可能だろう。現代だったらやはり政治家の役割だろう。でもそういう自覚あるのかしら、と思わざるを得ない。せいぜい照らしても自分のお仲間、派閥、よくて党どまり。こういう世の中では大勢の一隅を照らす庶民が必要だ、と思うこの頃である。

日本はどうなるのか

昨日のリヒテンシュタイン展覧会のことを埼玉の友達に連絡。彼女からは府中市美術館のデルヴォーの情報を貰う。東京国立の中国の至宝、江戸東京の川村清雄、三菱のシャルダンとこの秋はいい企画が目白押しで、二つは一緒に行くことを約束。毎日のように美術館に通っていた頃がなつかしい。

その後、今の若者の生きにくさについて話した。職を得られず、ホームレス同然の若者が増えているルポをテレビでやっていたそうだ。又たとえ職に就いたとしても、睡眠時間もままならない働き方をしている子供の友達を大勢知っている。日本はどうして若い人たちを大事にできないんだろう、とつくづく思う。十分蓄えた人たちはいつまでも地位にしがみついてないで、若者のサポートにまわるべきだ、又政治に女性の有能な人がもっと入り、能力を政治に生かせる様、男性が認識を改めるべきだという結論にいたった。若い時は思ったことを直ぐ行動に移せたが、今は亀の如し。年のせいとは思いたくないけれど。

リヒテンシュタイン

7箇月も美術館に行ってないと無性に絵が見たくなる。国立新美術館は珍しく火曜日が定休日。ということを知らない人は月曜日が休みだと思っているので、比較的すいている。テレビで放映されると途端に混むので、今日思い切って午後行ってきた。

思いがけず、とてもよかった。バロック・サロンはちょっと感激。家具の配置の左右対称をバロックの特徴としていたのは?と思ったけれど、ビーダーマイヤーというロココに似た様式があったことを始めて知ったり、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ハルス、ブリューゲル、レンブラント等お馴染みの画家もたくさんあったし、アメリング、ヴァルドミュラーと新しく好きになった画家にも出会えた。金工品も豪華でリヒテンシュタイン侯爵家の目の高さを認めざるを得ない展覧会だった。

張り切ったブランチ

昨日外食した時、次男が寮の食事の話を兄弟にしていたので、思わず耳がダンボになって聞いていると、「あまりおいしくないんだよね。」という言葉が聞こえてきた。そうか、そうか、それはうちの食事と比べるとむべなるかな、と思いブランチの食事を張り切って作った。粕漬けの鰆焼き、チンジャオロース、麻婆豆腐、春菊と海苔の酢のもの、南瓜の煮物、サラダはどうしようかな、と思ったけれど止めておいた。長男は仕事に出ていて、残った三人ともよく食べてくれた。で、気がついたら、私の分は魚しかなし。。。(涙)

午後は母の転居の準備でホームに行き、その後病院へ。次男を見て大喜び。認識できるようになった。次男も安心して千葉へ帰って行った。

遠隔で気功をしていた人に電話。大分良くなったけれど、完全ではないとのこと。わかっていたので、直接のヒーリング(コンタクトヒーリング)のための打ち合わせをした。忙しい週末で一度もピアノに触れなかった。代わりにモーツァルトのジュピターを聞く。

Time flies.

半年ぶりに次男が帰って来た。社会人二年目でまだ海の者とも山の者とも分からないが、健康そうでほっとする。久しぶりに家族五人顔を合わせて、この前父の誕生日をしたcowboyで食事した。

子供三人前にすると、いたずらばかりされてヒステリーを起こしていた日々が夢のよう。自分の時間はほとんどなかったけれど、それでもいい位充実してたんだな、きっと。子供がいなくなって、空の巣症候群になってしまうお母さん達を見てきた。これはまずい、と思い育てることにした。自分の気功を。これは私が手放さない限り私の手元にあるもんね。他の人の所に養子や養女にやってもちゃんとまだいる愛い(うい)やつなのだ。ちゃんと育てるから芽を出して花を咲かせてね。でも子供同様見返りは期待しないから。

二人の師に指摘される

気功をするに当たり、直接気功の先生ではないのだけれど、師と思っている人がいる。時々、結構厳しく注意がとんでくる。最近では「自分を勘定に入れるな。」としつこく言われた、気がした。その師とのことを詳しく説明すると、目に見えない世界に関心がない方からは驚かれるか、頭が大丈夫か、と思われるので書かない。が、この忠告は耳に痛い。気功の世界を皆に知ってもらいたいという気持ちから、自分のしていることをわかって欲しい、までならともかく、自分をわかって欲しいという所まで行ってしまうと初心がどこかに行ってしまう。わかっているのだけれど、ついそちらの方に重心が移っていたりする。そこを恐ろしいくらい正確にタイムリーに注意されると却って爽快だ。

apple clubというプログラムの勉強の会では、先生にデザイン面での統一性のなさを指摘された。これは全く気がついてなかった。子供がよく私のことを「いい加減な人間だ。」と言うので「お母さんくらい、誠実な人間はいないでしょ。いい加減じゃなくて良い加減よ。」みたいなことを返していたのだけれど、なんか今日少し納得してしまった。うちの子供も意外としっかり人を見てるかも。いずれにしても若い人達からadviceを受ける年になった。とても有り難く思っているので、これからもやっていけるでしょう。では、お休みなさい。

福島のこと

去年の大震災以来、福島のことがいつも気になる。茨城の人と話したら、地震そのものの被害は茨城の方がひどくて、震災後三週間位、福島に集まりすぎた水を送ってもらっていたって言ってた。知らないうちに報道に私たちは大分影響される。でも友達がそこにいない限り、知る術はない。母が昨年一月に玄関で転んで以来目を離せなかったので、東北支援は直接支援している人を支援する形をとった。支援する人も先が見えなくて疲れてしまうのはしょうがないと思う。その中で今でもせっせと被災地に通っている、ケアマネの友達は本当に偉い。

今日一日母関係のことで終わってしまった。お引っ越しが近いので忙しいのはしょうがないが、何故私だけ動き回らなければいけないのか、という疑問は残る。気功関係の準備が進まないし、やりたいこと一杯あるのに何もできない。でも母のことができるのは私しかいないし、と堂々巡り。疲れているようなので、もう寝ます。

ぐちゃぐちゃな今週

今週は月、火、水、木、金と予定がはいっている。勤め人並だけど色々なことがごちゃごちゃに入ってきてかなり混乱し、既に失敗している。対策としては早く寝るのがbestだけど、こういう時に限って子供が遅く帰ってきて、せっせと夕飯をserveして四方山話などして夜が更にふけてしまう。(涙)

ホワイトシチューがおいしくできた。作るとき必ず白ワインを入れるのだが、うっかりして切らしていた。そういえば。。。あった、和室に屋久島産の薩摩芋焼酎が。あたりをつけて長男に聞くとお礼に生徒から頂いたとか。渋るのを説得してワインの代わりにシチュウーの中にたらたらたら。すると何ということでしょう。何ともいえず深くてまろやかな味に。あまりシチューを好まない大きな長男と本当の長男も「おいしい」と食べてくれた。ポカ続きの今週前半にヒット一つ。

母の転院

今年は母のことで一年終わってしまいそうだ。3/31に倒れて一命はとりとめたものの、重い後遺症が残った。着物を着ること、おしゃべりすること、料理を作ること、おいしい物を食べることが好きだったのに何もできなくなって、全て介助されているのを見たとき、本当にこうして生きていることが幸せなのか、と何度も自問した。でも「奇跡的」に良くなって(リハ病院は本当に良くやってくれた)自分でご飯を口に運べるようになった。三分の一くらいこぼすけれど。

言っていることはほとんどわからない。わからないので母は怒る。時には大声を出す。始めは暗澹たる気持ちで帰ったが最近は機嫌が悪くなると「それじゃあね。」と這々の体で逃げ帰る。やっと今の状況に私が慣れたと思う。人間は順応できるんだなと感じている。苦難の一つの乗り越え方。考えても悩んでも答えがみつけられない事はしばらくは思考停止する。

母の関係で参ったことは、母の話をすると気功師なのに何やってるの、という反応があること。気功師は超能力者ではない。まれに奇跡を起こせる人もいるが、まだそれ程神に私は見込まれていない。母に関しては頭に邪気があったので、とってはきた。しかし因果関係を証明できるわけではなし。これが気功の難しいところ。でも良くなって表情が明るくなった人達の顔を見ると、とにかく気功が認められる努力だけはしておこう、と思うこの頃だ。

なかなか

気功の計画がうまく進まない。やはり危惧したとおり、治療院としては貸すことができない、ということだ。始めて言った不動産やさんのご主人がすごく悪がって、「一生懸命探します。」と言ってくれたのがせめてもの救い。とてもお安かったので、ひょっとしたら住む所に困っている人に提供するのが目的だったのかもしれないし。こういうことは考えてもはじまらないな。

衝撃的なことを聞いた。中学の時の恩師が脳梗塞で倒れてからもう20年近く奥様が面倒みてらして、偉い方だと思っていた。そこに昨日紀伊國屋のお菓子を送ったのだけれど、今日お礼のお電話で、教育に情熱を傾けていた次男の方が先月肺癌でなくなっていたことがわかった。あまりのことに暫し口が聞けなかった。気功師をしているということは言ったことはなかったし言ってもわかった時は末期だったようで関わることができたかどうかわからないけれど、無力感を感じてしまった。せめて奥様の健康を祈ろう。